納涼会・忘年会は「職員へのおもてなし」ではない

納涼会・忘年会は「職員へのおもてなし」ではない

■ある事務長が、

「病院での忘年会に、ある病棟の職員だけが出ないという。

しかも、

その病棟の職員たちは、

自分たちで、近所でお店を探して自分たちだけの忘年会をするので、

予算を回してもらえないか、と言ってきた。

なぜ、そんなことが言えるのか?

けしからん!」

と嘆いていました。

 

忘年会ではなにをするのか?聞くと

「飲んで、食べて、ビンゴゲームをして、話す」

のだそうです。

 

職員同士の親睦を図るためかと思えば、

「職員は、部署ごとのテーブルに分かれて、

他のテーブルには行かない。

別々のテーブルに分かれて掛けることもない」

とのことで、

席は自由だと言いいます。

 

「今年は、ビンゴゲームの院長賞を2つにしてください、と

職員から要望が来た。

実に厚かましい」

と、思い出してまた、嘆く事務長でした。

 

■何事も目的が大事です。

 

目的が不明確であれば、

当然、相手に伝わることもなく、

思うような結果が得られることはありません。

 

一般に、忘年会や納涼会を

わざわざ職員を拘束し、

飲食代などの費用を出して行なう目的は、

とりもなおさず、

「これからも、病院を理想像に近づけてもらうため」

で、間違いないでしょう。

 

では、経営者・事務長などの主催者側は

「これからも、病院を理想像に近づけて欲しい」

と伝えなければ伝わりません。

 

この目的パートなしに、

「では、みなさん集まったようなので、乾杯!」

と食事パートに入って、

すぐに飲んだり食べたりが始まってしまえば、

職員は、

「納涼会や忘年会は、ただで食事ができる場だ」

としか理解されません。

 

冒頭の病院でも、

長らく、そのような目的パートなしに

食事パートだけの納涼会・忘年会を繰り返して来ていたので、

職員の認識は、完全に

「年に2回、自分たちのためにもてなしてもらう日」

となっていたのでした。

 

なので、

「どうせわたしたちのために、

もてなしてくれる日を設けるなら、

みんなで集まらなくても、

わたしたちだけの忘年会をした方が、もっと嬉しい。

その方が、わたしたちのためだ」

と考えるのはむしろ自然でしょう。

 

目的パートがないので、

「みんなで集まる意味はない」

と考えるのも当然です。

 

このような納涼会・忘年会をしてきたならば、

職員を

「けしからん!」

とは言い切れません。

 

■また、経営者・事務長などの主催者側から

「これからも、病院を理想像に近づけて欲しい」

伝えるためには、

長々と演説をする必要はありません。

 

時々、ビールの泡がなくなるまで話す人がいますが、

かえって職員の無意識に、

不快感が刷り込まれてしまうだけです。

 

職員に対するIN-Putは最小限が良いので、

主催者側から演説をせずに

「これからも、病院を理想像に近づけて欲しい」

というメッセージが伝われば理想です。

 
そして、こちらの価値観をIN-Putするからには、
相手の価値観を承認することが前提となります。
 
つまり、職員の仕事ぶりや想いを、
賞賛したり、
尊敬したり、
感謝したり、
驚いたり、
誇りに思ったり、
労ったり、
驚いたり感心したりすることです。
 
承認の際、
賞金や景品はなくてもよく、
何よりもメッセージが大事です。
 
上層部が承認しても良いのですが、
職員同士が承認し合う場になれば、さらに素晴らしい組織です。
 
「この病院で頑張って来てよかった」
「この仲間たちと、また頑張りたい」
と感情のスイッチが入れば、
この納涼会・忘年会の場は、日頃の苦労が吹き飛ぶ時間となり、
職員は、
「次回も参加したい」
と思えることでしょう。
 

■なので、納涼会・忘年会をするには、

  1. 目的を明確にすること
  2. 目的部分を15分でも20分でも良いのできちんとも受けてから食事パートに移ること
  3. 目的部分で伝えたいことが伝わるためには、同じくらい職員を承認すること
  4. 承認の気持ちを、モノやカネで現そうとしないこと
……このようなポイントを踏まえて組み立てれば、
「参加したくない」
「もっと賞品が欲しい」
といったスットコドッコイも出てこなくなるはずです。
 
■なお、
日頃ほかの形で充分に職員を承認していて、
「これからも、病院を理想像に近づけて欲しい」
と伝えてもいるので、
「納涼会・忘年会は、職員へのおもてなしでOK」
という病院は、むしろその方が、素晴らしいです!