上司がわざわざ、みずから責任を負う傾向

上司がわざわざ、みずから責任を負う傾向

◾️以前からお付き合いいただいているクリニックで、

先日も院長先生と打合せする機会がありました。
 
これまで評価基準がなかったので、
きちんと評価をして、
「頑張っている人が報われるようにしたい」
とのことでした。
 
◾️いつもお伝えしているように、
自律進化組織創りを視野に入れた
相談になりました。
 
まず、
「ならば、頑張っているかいないかは、どこで判断しますか?」
と訊くと、
「それは、仕事ぶりを見て…」
 
先生は診察に当たられ、
他の職員もそれぞれの業務に従事しているので、
「的確に把握するのは難しくないですか?」
 
すると、
「では、どうすれば良いでしょう?」
とおっしゃるので、
「職員から、評価の材料となる情報を上げさせましょう」
 
なぜなら、
上司がわざわざ情報を獲りにゆき、
適正に評価する責任をみずから負ってしまっては、
部下職員は依存的になってしまうからです。
 
すると、部下職員は、
「ちゃんと把握してもらって当たり前」
という認識になり、
もしわかってもらえていないと感じた時には、
「なぜわかってくれないのか?」
と他責発想になってしまいます。
 
そして、お互い他人同士である以上、
職員が
「過不足なく、ピッタリわかってもらえた」
と感じることはないので、
得てして不満が生じるのが一般的です。
 
これでは、
せっかく職員のために良かれと思って
評価することにしても、
かならず摩擦が生まれるのです。
 
◾️そこで、おのずと
「職員から、評価の材料となる情報を上げさせましょう」
と提案することになるというわけです。
 
こうすれば、
「わかってもらえるのが当たり前」
という甘えの発想、
「わかってもらえないのが不満」
という他責の発想が、
ことごとく許されなくなります。
 
◾️ところが、
その院長先生は、
「いやー、よくやってくれるんだけど、
大人しくて言ってこない職員がいるんだよ」
 
院長・上司が、情報を獲りに行く責任を負うのか、
部下職員に情報を上げてくる責任があるのか、
どちらを選ぶか?二者択一です。
 
この院長先生のように、
情報を獲りに行く責任を負ってしまうと、
やがて、その職員も
「上司が情報を取りに来てくれるもの」
と前提を誤解してしまうことにもなりかねません。
 
すると、不満を感じた時には、
「ちゃんと見てくれていない」
と履き違えてしまうことさえあります。
 
また、他の職員からは、
「あの人のことには積極的に理解を示すのに、
どうして、同じように頑張っている私達のことは、もっと理解してくれないのですか?」
と不満を抱かれる責任をも負うことになってしまいます。
 
■どちらを選ぶか、
まずは、意識的に選択することをお勧めします。