何と比べるか? 何と比べさせるか?

何と比べるか? 何と比べさせるか?

■以前、テレビでアラビアの産油国の生活が取り上げられていました。

 

国民はそれほど働かなくても、

高級外車を何台も持っているのが普通で、

年収はというと、

「平均3,000万円」

だとか。

 

うらやましい!と思いましたが、

それも一瞬。

 

「おそらく、そんな環境の中でもきっと悩みはある」

だろうことが想像できたからです。

 

「お隣の◯◯さんのところの息子さんは、うちのドラ息子と違って、国営企業に勤めていて立派」

 

「国立△△大学を卒業したそうよ。

うちの次男坊も、△△学院大学に入れるとか入れないとか言っている場合じゃないわ」

 

「結婚するなら、年収5,000万円以上の男じゃないとね〜」

 

「お金を貯めて自家用ジェットくらい買わないと、彼女もできないよ」

 

「婚約指輪は、やっぱり給料の3ヶ月分じゃないといけないのか……、厳しいなぁ」

 

と(見て来たように書きましたがすべて想像です。というより妄想です)いうような、

お金が有れば有るなりの悩みがあることは、

火を見るより明らかです。

 

つまり、

「何と比べるか?」

によって、良いと感じるか、悪いと感じるか、が変わるということです。

 

もし来年死ぬことが決まったとすれば、

自分より長生きできる人のことを羨ましく感じることでしょう。

 

だれよりも長く生きていたいと願うかもしれません。

 

しかし、長生きしたいからといって、

1000歳まで生きられる時代になったら、

それはそれで幸せとは言い切れないでしょう。

 

以前喧嘩した相手に、620年ぶりに街でばったり会って、

その相手から、

「620年間、ずっと恨んでいた」

と命を狙われたり大怪我を負わされたりすることもあるかもしれない、

ということを考えてみれば、必ずしも長生きが幸せではないことがわかるでしょう。

 

ともあれ、

「何と比べるか?」

によって、良いと感じるか、悪いと感じるか、が変わるということではないでしょうか?

 

■もし、みなさんの職場で、

「もっと変えてゆこう!」

という意識が高まらないと感じることがあるとすれば、

もしかしたら、

良い対象と比べていないから、かも知れません。

 

自分の病院とそれほど変わらない病院と比べていては、

「うちも悪くない」

と感じるでしょう。

 

自治体病院は、他の自治体病院と比べることが多いので、

「赤字も普通」

と感じるのは意外ではありません。

 

他の病院と比べていればまだ良い方で、

昨日の自院と比べている、という

化石のような職員も中にはいるのではないでしょうか。

 

世間で問題となっていることや、

時代の潮流などはまったく目に入らず、

「昨日は待ち時間が3時間だったので、待っている間に具合が悪くなった人が3人いたけど、

今日は2時間40分で、具体が悪くなった人は2人だったので、

上出来。申し分ないわ」

とばかりに、目の前にある問題すら見慣れてしまい、

何の問題も感じなくなってしまっている、ということもよくあります。

 

蛸壺の中にいる自覚もなく、

退職するまでこの環境の中で暮らしてゆける、と勝手に思っている人すらいるでしょう。

 

では、どうすれば、そんな職員の目を覚ますことができるでしょうか?

 

■それは、やはり、

適切な比較対象を見せることに尽きるでしょう。

 

「ここと比べたら、うちはひどい!」

 

「ここと比べたら、うちは恥ずかしい!」

 

「ここと比べたら、うちは話にならない」

 

「ここの職員と比べたら、自分はやれることを全然していない」

 

「自分は、ここの中堅職員以下だ」

 

「うちがいかに牧歌的なことか」

 

「職員同士がいがみ合っている場合じゃない」

 

「それはそちらの仕事だと、押し付け合うなど器が小さい」

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こんな風に、職員が

「これは損をしていた!」

と気づくような比較対象を見せることではないでしょうか。

 

必ずしも同じような条件の対象でなくても良いでしょう。

 

他地域や他業種でも、

刺激になる比較対象はあるでしょう。

 

■みなさんの現場では、

職員の方々は、いまの自分たちを、

いったいどこの誰と比較しているのでしょうか?

 

その比較対象を、一日も早く変えさせることです。

 

みなさんが

「視野を広くしなさい」

「アンテナを高くしなさい」

と呼びかけているのは、そういうことではないでしょうか。

 

そして、みなさんが、

「ああすべき、こうすべき」

と力説するよりも、

部下職員たちは、何倍も早く、素直に学んでくれるはずです。

 

しかも、その学びは、

何倍も深く刻まれ、

何倍も長く活き続け、

何倍も確実に、具体的な言動を惹き起こしてくれることでしょう。