■組織を評価するとき、これまでは、

「売上が多いかどうか」

「利益が多いかどうか」

だけが指標になってきました。

 

たとえば、東洋経済新報社の「会社四季報」には、

上場企業すべてに関して、

資本金のほか、

営業利益、純利益、社員数、発行済株式総数などが載っていて

要するに

「売上はどうか? 利益はどうか?」

だけがまとめられています。

 

わたしが証券会社に勤務していた時にも、

この会社四季報を見て、

ほぼ売上や利益の見通しだけを頼りに

顧客に、株の売買の提案をしていました。

 

しかし、会社の良し悪しは、それだけではないことは

みなさんもご存知の通りです。

 

会社四季報に載っているような立派な会社でも、

  • おびただしい数のメンタル疾患が生じていたり、
  • 大量採用大量離職を繰り返していたり、
  • 不正によって上場取り消し、倒産した会社もあれば
  • セクハラ・パワハラも当たり前、
  • 職場環境が悪くて社員が自殺したりと、
  • その内情は目も当てられない

などということが、当り前のように起きています。

 

つまり、

人間でも

お金がある人が立派なわけではなく、

裕福とはいえなくても、

周囲からは

「この人によって人生を変えてもらった」

と言われているような人もいるのと同じように、

 

組織もまた、

儲けが大きいから立派なわけではなく、

規模が大きくなくても、

職員や関係者から

「この病院だから、自分の力が発揮できる」

「この病院はわたしたちの宝物だ」

と言われているような病院・組織もあるのです。

 

そして、昨今、そうした

「健全な組織かどうか?」

がとりわけ問われる時代となっているのではないでしょうか?

 

■つまり、これからは、

組織も、「質の高い組織」となることが必要な時代になっている、ということです。

 

国でいえば、「民度」と呼ばれているものです。

 

以前、中国で、列車事故が起きた時に、

政府は、原因究明をすることなく、

その車両を土中に埋めようとしたことがあり、

文化度のレベルの低さを感じさせられたことがあります。

 

かく言う我が国も、

原発事故によって発生した汚染度を農地に埋めたり、

官僚の報告書を受け取らないといって、

問題をなかったことにしようする例があり、

列車を埋めるのと、

文化度はさほど変わらないような気もします。

 

しかし、少なくとも、

勤務先の文化度だけは健全に保ち、

従業員が健康で幸福に働くことができ、

患者さん・地域・連携先などの関係者からは信頼され、

安心して選ばれる存在になりたいものです。

 

そのためには、組織運営が健全なものでなければなりません。

 

■では、どのような点に組織の文化度が現れ、

どのようにすれば組織の文化度を向上し、

職員や関係者が安心・満足できる組織を創ることができるでしょうか?

 

その代表的な条件を挙げておきましょう。

 

▶︎まず代表的なのは「人の支配」です。

 

経営者や上層部、管理職の

「俺がルールだ」

の横行が許されているようでは高等な組織とは言えません。

 

人の支配のもとでは、

  • 主観評価
  • 情実人事
  • 事後処罰

などが起こっていますので、自分のいる組織はどうか、振り返ってみましょう。

 

主観評価とは、人事評価が、上司の感覚によって行なわれるということです。

 

情実人事は、技能や成果ではなく、「好きだから」「冷たくできないから」という理由で、ポストを与えられる人がいる、という人事異動です。

 

事後処罰とは、職員を処罰する場合に、前もって定められた規定もないのに、経営者・上層部によって裁かれて、処罰が決まってしまうことです。

 

国家の場合、「人の支配」よりも「法の支配」が進歩しているとされます。

 

要するに、なにごとも権力者が決める「人の支配」では、

決まりがないので(あるいは決まりも元首次第なので)、

人は安心して社会生活を営めません。

 

日本では、江戸時代の「人の支配」を卒業して、

近代では「法の支配」へと進歩したとされています。

 

近代国家では法の支配のもと、

罪刑法定主義といい、

あらかじめ法律で定められた罪に抵触しなければ、

定められた範囲での刑を課せられないことになっていますが、

組織においては、人の支配が珍しくなく、

「理事長がクビと言ったらクビ」

ということが多々あります。

 

「昨年の職員は始末書で済んだのに、

今回別の職員はグループ内の他の施設へ異動させられた」

という情実による処罰も珍しい話ではありません。

 

職員の待遇に影響するようなことでさえも

場当たり的に対処されてしまう、ということも

日常茶飯事でしょう。

 

グループ全体の総看護部長が、大きな権限を握っていて、誰も反対できないため、

もし職員間のトラブルがあった時には、

その総看護部長の親派の看護師だけが言い分を聞いてもらい、

事実検証も関係調整もなしに、

総看護部長からの一方的なお裁きが下るという話も、

マンガのようですが、実際にあります。

 

これらすべて、

江戸時代の「人の支配」のレベルにある組織であり、

とても現代の組織に進歩できていない、ということです。

 

▶︎上意下達しかできない組織もまた、高等な組織とはいえないでしょう。

 

というのも、職員が自分の考えや思いを話すこともできない

閉塞的な現場では、

必然的に、その思いを実現することもできないので、

幸福な職場になりようがなく、

下等な組織と言わざるを得ないでしょう。

 

一方、

高等な組織であれば、

民主的で、建設的で、

職員が自由に話し合い、

価値観を交換し合い、

生産性を自ら高めることができます。

 

つまり、

職員同士がなんでも話し合える風通しの良い組織を作れているかどうか、もまた、

その組織のレベルが現れる一面だと言うことです。

 

▶︎その結果、下等な組織では、

有無言わさず「人の支配」がまかり通り、

上意下達のコミュニケーションしかないため、

そうした現場では、言語は必要にはなりません。

 

職員が、上席者に釈明する能力も要りません。

 

というのも、つねに正義は上席者にあり、

釈明しても通用しないからです。

 

一方、高等な組織においては、

「本当はどうしたいのか?」

「本当はどんな思いなのか?」

をみずから伝え、聞き、考え、行動してゆくことが

職員の自己実現を可能にする前提なので、

言語をはじめとした表現が必要となります。

 

職員からの釈明は大歓迎です。

 

なので、上司から部下に至るまで、

さまざまに自己表現をできることが大切です。

 

上司にも部下に説明する力が、

部下にも上司に説明する力が、大切になります。

 

■江戸時代であれば、

「お上のお裁きに従うだけ」

なので、

その裁きの当否を、岡っ引きは考えてはいけませんでした。

 

下等な組織の中では、

表現力も聴取力も釈明力も不要となります。

 

管理職は、お上に従うだけの

「岡っ引きタイプの管理職」

で良い、というわけです。

 

一方、現代であれば、

国民が話し合い、納得した上で、

初めて法の執行が行なわれるので、

その個別具体的な事例に対しても当否を検討する人が必要となりました。

 

高等な組織になれば、

まさに表現力・聴取力・釈明力のプロフェッショナルが必要となりました。

 

それが、まさに

弁護士をはじめとした法律家の方々です。

 

なので、高等な組織においては、

個別具体的な事情を説明したり、

臨機応変な対応がいかに正当な行為だったかを釈明するために、

さまざまなことを言語化できる

「弁護士タイプの管理職」

が必要な時代になったのです。

 

■では、みなさんの現場における管理職は、

どちらのタイプでしょうか?

 

上意下達をお手伝いするだけの

「岡っ引きタイプの管理職」

でしょうか?

 

それとも、

部下職員の想いを引き出し、

状況を説明し、

そんな現場の実情を上層部にきちんと説明できる

「弁護士タイプの管理職」

でしょうか?

 

高等な組織になれば、

職員の想いを応援し、価値観を解放しなければなりませんから、

おのずと、管理職も

「業務のことしか考えない」管理職から、

「職員の気持ちを受けとめる」管理職へと

必然的に、進歩しなければならないのです。

 

■もちろん、経営者・上層部も同じです。

 

経営者・上層部に

自分の価値観を言語化し、表現できる力がなければ、

部下職員は、

「いったい、いつ、何のかどで、裁かれるかわからない」

ので、

「みだりに動けない」

もちろん、

「思い切ったチャレンジなどできない」

ので、

おのずと「萎縮組織」となります。

 

反対に、経営者・上層部が、

「これは望ましい。こういうことはしてはならない」

と明示する表現力があれば、

職員は、そのものさしの中で、

のびのびと行動できるので、

おのずと「成長組織」となります。

 

■みなさんは、

「人の支配」が横行し、

管理職は「岡っ引きタイプ」で、

職員も決して幸せにならない

職員が言われたことだけをする「萎縮組織」

をつくりたいのでしょうか?

 

それとも、

「法の支配」に切り替え、

管理職も「弁護士タイプ」で、

職員が価値観を共有し、想いを実現できる「成長組織」

をつくりたいのでしょうか?

 

■ところで、

「うちの管理職に、そんな高等なことができるだろうか?」

と思うでしょうか?

 

部下職員の本心をきちんと聴き、

想いや働きぶりを言語化し、

上層部に釈明したり、

逆に組織の方針や理想像を言語化し、

部下職員と共有して力を引き出すこと・・・

むしろそれこそが、管理職の本文ではないでしょうか?

 

業務が進んだかどうか、

収益が上がったかどうかは、

これからは、

コンピューターで瞬時に確認できますから、

もはや業務管理のための管理職は要りません。

 

さて、みなさんの現場における

「管理職研修」

では管理職の方々に対して、

そうしたことを言語化して伝えているでしょうか?