■テコンドー協会の問題は、

会長とシンパが権力を持ち、

選手の意見が通らない状況になっていたように見受けられます。

 

その運営が、公正なのかどうかはわかりませんが、

選手のほとんどが、

選手にとって重要な強化合宿をボイコットするにいたっていることからすると、

会長とシンパが、選手側と対話をできていないということは間違いないでしょう。

 

対話ができていないのに、結論だけを押し付けられることほど理不尽なことはありません。

 

選手が納得できないような理不尽が生まれるのは、なぜでしょうか?

 

■理不尽なことが続いています。

 

▶︎日大アメフト部の件では田中理事長。

 

教職員が交渉しても、和解に至っているような報道はありません。

 

▶︎アマチュアボクシングの山根会長。

 

山根判定など、ブラックな話が出てきましたが、解明されていない模様です。

 

▶︎NGT 48で、アイドルが暴漢に襲われそうになった件で明らかになった、運営側の態度。

 

事実解明も満足になされず、その後のアイドルの身辺を保護するなど安心させるための対処も講じられず、

結局、アイドルは脱退する道を選ばされました。

 

▶︎日産のカルロス・ゴーン。

 

グループ企業を通じて、違法に利益供与させた疑いが持たれています。

 

▶︎目黒区の結愛ちゃんの虐待死事件。

 

▶︎神戸市の教師によるいじめ事件。

 

▶︎兵庫県の中学校で続発している、部活における野球部やバレー部の顧問による体罰事件。

 

▶︎女子体操のパワハラ問題。

 

▶︎吉本興業の、闇営業と反社会的勢力との関係をめぐっての、

タレントに対する処分。

 

……このように、挙げればキリがありません。

 

■なぜ、こうした理不尽なことが起きるのでしょうか?

 

後々、明るみに出て、

世間から非難を浴びたり、

裁かれたりするにも関わらず、

なぜ、このようなことが起きるのか?

 

なぜ、人は暴走してしまうのか?

 

その構造を

みなさんも、ここまでご覧になって

すでにお気づきのことと思いますが、

 

(そして、いつもお伝えしていることですが)

 

「人間は、密室では他者を蹂躙する」

という生来の性質を持っているからに、他なりません。

 

役員が一般会員に、

運営側が一般職員に、

理事会が一般構成員に、

教師が生徒に、

親が子に、

上司が部下に………、

 

密室になった時、

「強者となった者は弱者を蹂躙してしまう」

のが、本来の姿なのだと考えた方が良いのではないでしょうか。

 

上述した事例も、

いずれも、

「蹂躙しよう」

と思って、その立場に上り詰めたり、

虐待をエスカレートさせたわけではない気がします。

 

密室の中で強者となってみて、

やがて自制心や良識や節度を見失い、

時には自分を正当化する身勝手なロジックに背中を押され、

いつの間にか、

弱者を蹂躙するようになってしまうのではないでしょうか。

 

■ここからが本題です。

 

みなさんのように、

組織を構成しまたは運営する方々は、

人が暴走し、

理不尽なことがまかり通ることのないようにするためには、

この

「人間は、密室では他者を蹂躙する」

という人間の性質を前提にした方が良いのではないでしょうか。

 

もちろん、

人をそのように見たくないという思いもあります。

 

しかし、

自分自身がそうならないと言い切れるでしょうか?

 

たとえば、パワハラも、

その加害者のうち、

「そこまで厳しくしなければ、部下がいうことを聞かなかった。

あの部下を動かす責任を負わされ、

最初は優しく指導していたにも関わらず、

やる気も示さず役割も果たさない部下を、

育てるため、他にやりようがなかったのだ」

と思っている人も少なくないのではないでしょうか。

 

「一体誰が、うまく育成できただろうか?

これをパワハラというなら、

うまく育成して見せて欲しい」

とさえ思っているかもしれません。

 

それでも、暴走は暴走であり、

見方によっては理不尽な指導となるのです。

 

(決してパワハラを容認しているわけではありません。

ただダメだと言っているだけでは、

何の解決にもならない、ということです)

 

そうしてみると、

「人間は、密室では他者を蹂躙する」

という人間の性質を前提に考えた方がよいのではないかと

考えられます。

 

では、どうするか?

 

■そもそも、

「人間は、密室では他者を蹂躙する」

という人間の性質を前提として公言し、

その上で、組織運営をするのです。

 

具体的には、

「密室を作らない」

ということです。

 

できるかぎり、

理事会、

委員会、

プロジェクト・チームなどの打ち合わせには、

誰もがオブザーバーで参加できるようにしたり、

議事録を実名入りで開示するということです。

 

もちろん、

他社を出し抜くための戦略や、

財務状況などは

公開しない方が良い可能性が高いでしょう。

 

ただし、

「原則公開」

とする、ということです。

 

そのためには、

発言者は、主張する際に、

具体的・客観的な根拠や、

説得力のある説明をできなければなりません。

 

しかし、それは今に始まったことではなく、

そもそも、

理事や委員やプロジェクト・メンバーである以上は、

もともと責任があったはずなのです。

 

ところが、これまで密室の中にいることができたので、

根拠もなく発言したり、

説明もなしに結論を押し付けたり、という

無責任が可能だっただけであり、

それこそが、暴走や理不尽の温床だったのです。

 

これからの組織は、

その温床となる「密室」を排除し、>

議題にもよりますが、

できる限り(ということは原則として)

誰もがウォッチできる環境の中で、

良識と節度と品位をもって討議することができるよう

成熟した組織になることが望まれるのではないでしょう。

 

余談ですが、理想なのは(実現できるかどうかは別として)、

「自分の家族が見に来れる」

とすることですね。

 

「自分に恥ずかしくないか?」

と聞かれてピンとこない人が多いですが、

「自分の家族に見られて恥ずかしくないか?」

と考えてもらえれば、

多くの人が、自分を客観視でき、目が醒めるでしょう。

 

もし、組織の上層部が、

こうした提案を一方的に却下するとすれば、

その態度こそが、

「密室を守りたい」

既得権益と保身のための力学を働かせたい上層部であることを、

みずから暴露している、ということでしょう。

 

そして、そういう主張をする人たちほど、

これまで結論を押し付けてきた人たちなので、

根拠も説明も提示することに慣れておらず、

「とにかくダメ」

としか答えられないのではないでしょうか。

 

冒頭のケースで、テレビで行なわれた謝罪会見が

まったく説得力もなく、

対策も具体的ではない、

お粗末な会見だったのは、そのためでしょう。

 

■もし、

職員を活性化し、

その総力を発揮できる全員参加の意識を高め、

組織の生産力を上げたいならば、

 

まさに「密室」の逆で、

 

つねに会議をオープンにし、

経営会議でも、

委員会でも、

プロジェクト・ミーティングでも、

どの職員もがいつでも見学でき、

オブザーバーで同席でき、

 

本人が希望する場合には、

意見を述べることもできるように

「公開」

を原則とすることではないでしょうか。

 

公開してもいない人が、

「なぜみんな関心が低いのか?」

「なぜみんな当事者意識がないのか?」

とは言うことはできません。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。