■どんな指導も教育も、

相手がそれを受け入れる気持ちになっていなければ、

施す方にとっては徒労に、

受けさせられる側にとっては不快感になるだけになり、

効果が上がらないばかりか、

関係性も悪くなってしまいます。

 

その点、

「職員は頑張って働きたいはず」

という昭和の時代の感覚から抜けきれずにいる組織が多い一方、

平成・令和の時代の職員は、

「それほどでもない」

という感覚なので、

多くの職場で、日々摩擦が起きているのが実情です。

 

たとえば……、

 

上司は

「みんな今度から、こうするからな」

と一方的に言い、

 

部下の方は、

「それ、意味があるんですか?」

と反応するので、

 

上司は

「意味がないわけがない。なぜつべこべ言うのだ」

と憤慨したり呆れたりし、

 

部下の方が

「もっとちゃんと指示してくれないと」

と言うのを聞いて、

 

上司が

「いまの若い者は、甘えすぎだ」

とさらに怒る、

 

……という構図が、珍しくないはずです。

 

■そこで、

職員教育とか技能研修の前に、

心理構造について学んだ方が良いということに気づかなければならないでしょう。

 

特に、職員が同じ方向を見て進むようになるためには、

なにごとも職員が

「自分自身で選択している」

ことが必要、

という心理構造を踏まえておくことが重要です。

 

上司から新たな指示や命令があった時に、

部下が幸せな顔をすることはあまりありません。

 

人にはそれぞれの価値観があるので、

一方的な押し付けには抵抗を感じるものだからです。

 

では、

上司が、職員に意見を聞こうとすると、

「わたしは、どちらでもいいです」

「決めてもらえればやります」

と返事されることも多く、

部下が喜ぶかといえば、必ずしもそうではないのです。

 

他人からの押し付けには抵抗があるのに、

なぜ、自分で選択しようとしないのでしょうか?

 

それは、

「このようにさせてください」

と自分の意見を述べれば、そこに責任が伴うからに他なりません。

 

「言った以上、絶対にやれ」

という(大抵は上司に対する)重い責任が課されることがなくとも、

日本人の場合には、軽い責任も嫌う傾向があります。

 

軽い責任とは、

「これ、誰が言い出したの?」

と否定的に取られるのではないか?という仲間に対する不安感です。

 

口に出して非難されることがなくても、

「本当は、みんな迷惑に感じているのではないか?」

「もしかしたらうとましく思われているのではないか?」

と、周囲に対して、勝手に不安を抱くのが、日本人の傾向です。

 

責められるほどでもない責任を

みずから感じて萎縮していることが多いのです。

 

その証拠に、講演の最後に

「なにか質問はありますか?」

というと、手をあげる人はなかなかいない割に、

 

司会者が

「では、こちらからお聞きしてみましょう。

そちらの列の一番前の方、なにかご質問はありますか?」

と聞くと、

「ずっと気になっていたのですが、○○についての具体的な例をいくつかあげてもらえないでしょうか?」

などと、すらすらと質問をしだす(質問あるんかーーい!)、

というパターンを、

みなさんもよく見ることでしょう。

 

これは、

「自分の質問で、みんな時間を奪ったと思われたくない」

という不安感によるものだといえます。

 

なぜなら、指名された場合には、

「この質問でみんなの時間を使っているのは、

わたしではなく、司会者だ」

と、自分の責任ではなくなるから質問できる、

という心理構造が働いているからです。

 

忖度しすぎるのが、私たちだということもできるでしょう。

 

また、自分で決めたことは、

「自分で決めたんでしょ?」

と言われて、逃げ道がなくなってしまうということも、

人が、自分で決めたがらない原因です。

 

他人に決めてもらっていれば、

なにか問題が生じても、

「わたしが決めたのではない」

という逃げ道を残しておける、ということを

本能的にわかった上で選択していることも多々あります。

 

これが他責発想の構造です。

 

■こうしてみれば、

人には

「自分で決めたい(他人の押し付けは嫌だ)」

という価値観と、

「自分で決めたくない(他人から非難されたり、自分の逃げ道がなくなるのが恐い)」

という価値観との、

自己不一致があるということです。

 

そして、時と場合と自分の都合によって、

指示や命令による押し付けに文句を言ったり、

自分で決めることを回避したりしている、ということです。

 

一方、自分で決めていれば、

すべての結果に納得がゆきます。

 

また、自分自身で選択するということは、

他責発想を排するので、

無限の可能性を開くことになります。

 

逆に、

他者に決めてもらうのは責任がないので楽であり、

うまくいかなかった時にも、

他人のせいすればよいので、

つねに傍観者的な立場にいて済む、という気楽さはあります。

 

その代わり、

他人に任せている以上、

自分の思うようにいかないことの方が多くなります。

 

そして、他人をコントロールすることはできないので、

他人任せにしている以上、

その不満を解消する出口はありません。

 

■さて、みなさんの職場では、

人間のこのような心理構造の中にあるということを、

職員に伝えているでしょうか?

 

こうした心理構造をみんなで共有しておくことで、

「あ、あの人は、いま楽を選んだ」

「自分で決めずに、他人を責めている」

「非難を恐れず提案して立派だ」

などと、

 

なんとなく自己不一致の間で都合よく動いていたことが、

言語化されるようになり、

職員の心
理が前向きに働いているかどうかを

顕在化・共有化することが可能になるのです。

 

■みなさんの現場では、職員の方々に、

「人間には、

責任は負いたくない、楽したい、という心理もある。

しかし、他人のせいにしてみても、

思うようにいかないことが多く、

納得いかないし、

現実を変えることもできない。

・・・あなたは、そんな人生を選ぶのですか?」

と話す機会があるでしょうか?

 

これは、

人間の社会生活あるところには、

古くからあった心理構造でしょう。

 

わたしたちがこうした心理構造の中にあることを

お互いに俯瞰化して、

お互いが賢明な選択をするようにすることが、

はやりのコミュニケーション・テクニックを学んだり、

コミュニケーション・ゲームをやったり、

評判のモデル組織を見学に行ったりする前に、

まず、しておかなければならないことなのではないでしょうか?

 

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