「耐性組織」から「痛覚組織」へ

「耐性組織」から「痛覚組織」へ

■我が国で、
「ボトム・アップ型の組織が良い」
「ピラミッド型ではなく文鎮型が良い」
「社員を、さんづけで呼ぶフラットな会社が良い」
・・・などと言われるようになって
久しいですが、

なかなか、それが実現できていないように
見受けられます。

なぜか?

それは、
その逆のトップ・ダウン型の文化が
永い日本の歴史の中で
企業にも社員にも世の中にも染み付いてきたため
なかなか払拭できないからです。

文化を変えるには、
実は、
文化を変える方法が必要です。

文化とは、
日常の時々刻々の中に脈打っている
感情や思考、価値観の習慣です。

ピンポイントで、
気がついた時に、
場当たり的に、
時々、
一方的に伝えて変わるものではありません。

もし、
親が日頃お金を浪費して見せていれば、
子どもに時々
「無駄遣いはするな」
と教えても、
子どもにその価値観の習慣が身につくことがないのと同じ
・・・と考えると、想像しやすいのではないでしょうか。

■そこで、
上表で、
これまでの文化と、
これから目指した方が良い文化を比較してみました。

このコントラストを前提に、
経営者・管理職が、
日常を変えてゆくことから始めることをお勧めします。

■まず、上表の左欄の通り、
これまで(おもに昭和の時代)は、
安定の時代でした。

一人の舵取りで充分に安全運転できる時代だったので
トップ・ダウンが
最も生産効率が高かったのです。

したがって、
従業員は、
さまざまな不満や理不尽なことがあっても、
決められたことを忠実にこなすのが
最も美徳とされる傾向がありました。

あれこれ考えず、理屈抜きで何事にも耐えうる
「耐性」
がなければ、
企業戦士は務まらない、という文化でした。

なので、
おのずと、社員を教育する場合にも、
日常と隔絶した合宿で根性を叩き込むような
軍隊式研修も永い間、
人気があったことはご存知でしょう。

その傾向は社会文化にも色濃く見られました。

『巨人の星』や『サインはV』といった
スポーツ根性ものが流行っていたり、
刑事ドラマでは
毎週のように刑事が殉職したい放題だった時代でもありました。

また、昭和・平成の時代には毎年のように
年末に「赤穂浪士」が制作されては放送されていたことが、
象徴的でしょう。

企業において軍隊式研修が流行ったのと同様に、
学校教育においても、
「記憶力」
を競う受験戦争に対応する教育が続けられました。

半世紀あまりもの間、
教えられた通りに答案を書くよう
IN-Put型の教育が徹底されたのです。

その結果、
あたかも金型にはめて作られた
ネジや歯車のような人材を量産してきたのが
日本の社会と言えるでしょう。

それを
「金太郎飴だ」
と嘆いていた人たち自身も
みな、金型によって作られた人たちであり、
部下や子供の育成の場面では、その手に金型を持っていたのです。

このように社会全体で、
多くの人たちが、
毎日の時々刻々、
トップ・ダウン型の文化の空気を
吸っては吐いているという状態だったと言えるでしょう。

ピンポイントで行なう教育などのような
ちょっとやそっとの取組では、
文化は変わらないことが
感じられるのではないでしょうか。

では、
これからはどのようなイメージを
持ったら良いのか?

■ さて、これからは、
何が起きるかわからない激変の時代です。

日本にもはや世界経済をリードする経済力も発言権も
いまはありません。

急激かつ強大な中国の台頭、
科学技術の進歩の乗数的な加速、
自然環境の変化などなど、
外部環境はますます変わってゆくことが見えています。

したがって、必然的に、
社員全員が舵取りに関心を持ちいつでも動ける
ボトム・アップが
組織の生命線となることは明らかでしょう。

そのため、
従業員が、
目先のことをこなして満足していては組織は存続できません。

未知の課題や将来のリスクに敏感であること、
すなわち、鋭敏な
「痛覚」
が何より求められる力となります。

その意味で、
これまでの「耐性」が求められていた時代とは、
180度、違うということです。

これからの組織は、
全員が鋭敏な痛覚を備えていなければ
生き残れない時代となるからです。

なので、
以前から言い尽くされている通りで、
いよいよ、縦割りの組織を卒業しなければなりません。

井の中の蛙は、あっという間に茹で蛙になる、
それがこれからの激変の時代です。

これからの組織向上においては、
日常の中で新たな習慣を浸透させるような、
真に実効性のある施策が必要となります。

集めた社員に講師の話を聞かせる教育は、
人を傍観者化させてしまうので危険です。

そんな、
教育しているように見えるだけのセレモニーは
卒業しなければなりません。

これらは、やればやるほど、
スタッフを受動的・依存的にさせてしまう以上、
もはや、やめた方が良いでしょう。

学校教育においても、
もう記憶力を身につけさせることは不要でしょう。

いまや、
スマートフォンがあれば、
たいていのことは瞬時に調べることができるからです。

それよりも、
問題に気づくことができる感性がない人は、
せっかく手元にスマートフォンがあっても、
調べる必要性も感じないため、
適切に調べることもできず、
スマートフォンを握ったまま、世間の寒風で凍死してしまうのです。

むしろ、
より多くの課題やリスクを感知できるためには、
それぞれの感性によって、
気になったところへはどんどん足を運び、
見て、
聞いて、
飛び込んで来るといった、
OUT-Put型の学習を主軸に考えることが当り前になることが
企業組織も世の中も教育現場も、必要となると考えられます。

要するに、これからは、
OUT-Put型の組織づくりに徹しなければならない、
ということです。

金型にはまらない人材を創り出してゆくこと、
OUT-Put型の文化を醸成してゆくことを通じて、
企業組織は、
社会に寄与することにもなるでしょう。

金型にはまるどころか、
必要とあれば、
熱にも水にも電気にも光にもなることができて、

部署・組織・国境などのあらゆる境界をすり抜けて
介入してゆくことも、
逆に、
俊敏に一旦避難することも、
自由自在にできる人材や組織を実現することが、

最も柔軟で変化に強く、
永きの将来にわたって高い生産性を維持向上できる
要件となるでしょう。

このように社会全体で、
多くの人たちが、
常に、
ボトム・アップ型の文化の空気を
醸成してゆくことが喫緊の課題だということが
明らかなのではないでしょうか。

■昭和の時代の
「我慢強さ」を美徳とした
「耐性組織」を捨て、

これからの激変の時代に合わせ、
むしろ些細な「我慢ができない」という繊細さを持った
「痛覚組織」へと、
一刻も早く、
180度、舵を切ることをお勧めします。