■最近は、
多様性の時代とかダイバーシティとか言われていますが、
なかなか、
「異なる意見を出し合って前進する」
ということが広まってはいません。
このままでは、
組織の発展はありません。
というのも、異なる意見が集まっているからこそ、
異なる視点や発想があり、
可能性が広がるからです。
もし、
職員が自分を出せず、お互いを否定していたり、
異なる意見を持たなければ、
みんなが同じ視点と発想になるので、
せっかく組織として動いている効果がなく、
一人で悩んでいる時と同じ答えしか出ません。
したがって、組織が発展するには、
異なる視点や発想、価値観が尊重されなければならないのです。
■その点、日本人は、
「異なる意見を出し合う」
ことが、もともと苦手です。
日本は農耕民族で、長い間、村社会だったので、
村八分を極度に恐れたり、
また、
自分を押し殺して周囲に従うのが美徳でした。
そのため、周囲に気をつかうあまり、
言うべきことを言わず、
必要な質問さえしないことすらあります。
たとえば、講演後に質疑応答の時間を設けても、
手を上げて質問することが少ないものです。
「自分の質問でみんなの時間を奪っても良いのか?」
ということまで気兼ねするからです。
■ところで、
そもそも医療現場では、
「心に寄り添う」
ということが大事とされていますが、
それはどういう意味か、
説明できているでしょうか?
あるいは話し合うことができているでしょうか?
もちろん、
心に寄り添うとは、
「同化すること」
ではありません。
もし、患者さんが
「死にたい」
と言った時に、
同じ価値観になって「死にたい」と感じていたら、
身がもちません。
もとより、
人間は同じ気持ちになることはできません。
たとえば、
夫婦でも親子でも、
同じ映画を観て涙を流していても、
感想をかわして見ると、
それぞれ異なることに感動していた、ということも珍しくないでしょう。
では、心に寄り添うとは、
どういう意味か、説明できるでしょうか?
■まず、その根底には、
「人間は、環境や条件によってどのようにもなるもの」
という思想があるとわかりやすいでしょう。
ちょうど仏教で人間のことを
「機」
というそうです。
そして、
「自分自身は、環境や条件によってどのようにもなる」
と前提した人は、
おのずと、異なる意見を尊重することができます。
なぜなら、すべての人は生きてきた環境も条件も異なるので、
「すべての人が、異なる意見を持っている」
むしろ
「完全に同じ意見の人などいない」
ことが前提になるからです。
同じ意見であることが前提であれば、
「なぜ意見が異なるのか」
「けしからん」
と、異なる意見を尊重することに馴染めないことでしょう。
反対に、
「同じ意見であることがあるはずがない」
と前提すれば、
おのずと、異なる意見を尊重することができるでしょう。
■つまり、
「心に寄り添う」
とは、異なる意見や価値観に向き合う時の、
以下のような心理状態であると言えるのではないでしょうか。
「わたしは、今、あなたの心に賛同することはできない。
しかし、
もし、
あなたと同じ家に生まれ、
あなたと同じ人生を生き、
あなたと同じ体験をしたならば、
きっと、
自分も同じように感じ同じことを言うだろう。
だから、
今あなたがそう言うことを否定するしない。
あなたがそのように感じ、そのように言うことを
わたしは尊重する」
同化することも
同情することもありません。
そもそも人間は、同化できないのですから。
また、無理をして自分の価値観を押し殺して
協力したり応援することも必要ありません。
しかし、
「なぜそんなことを言うのだ?」
「そんなことを言ってはならない」
と否定することもありません。
異なる意見を持つことが当り前なので、
いちいち、否定も肯定もしません。
そして、それなりの経緯があって、
相手がそういう価値観を持つにいたったことを受け入れることになります。
さもなければ、それなりの経緯があって、
いま自分が持っている価値観も受け入れてもらえることもなくなってしまうからです。
ただし、
もし深く相手を理解したいと思う場合には、
同じ経験をすれば同じ景色が見えるかもしれませんから、
「そのように感じそのように言うに至ったプロセスを、
できれば聞かせてほしい」
ということはあるかもしれません。
そうして同じ経験をすれば、同じ景色を見ることができ、
「あなたがそう言うのも無理はない」
と一部なりとも相手の価値観を理解することができることもあるでしょう。
そうなれば、少しは
「応援しよう」
「協力しよう」
と、心から思える余地が生まれてきます。
■というわけで、
「患者さんの心に寄り添うこと」
が大事と、当り前のように言われていますが、
それを思考習慣にすることが大事です。
というのも、
相手を尊重する思考は、
潔癖さや整理整頓や時間を守るなどの思考習慣と同じで、
時と場所と相手を選ぶことは難しいからです。
どこかにいる時にだけ潔癖な人はなく、
常に潔癖でなければ、
大事な時にも潔癖にはなれないように、
誰かに対してだけ尊重できる人はなく、
誰に対しても尊重できる人でなければ、
患者さんに対しても尊重できることはないものです。
したがって、
「患者さんの心に寄り添う」
ことができるためには、
職員同士においても、心に寄り添えていることが必要です。
同僚同士でも、
「あなたと同じように感じることはないけれど、
あなたがそう言うには、それに至る経緯があったのでしょう。
きっと自分も同じ経緯があれば、
あなたと同じことを言ったと思う。
だから、
あなたがそういうことを否定しない。
よかったら、そう思うに至った経緯を聞かせてもらえないだろうか?
あなたを理解し、できれば応援したいと思うから」
と、
日頃から、互いに心に寄り添うことをが望ましいのです。
■もし管理職なら、
「心に寄り添う」
とはどういう意味か?を、部下に説明できなければなりません。
「心に寄り添いましょう」
言いながら、
その意味が明確でなければ、
部下ができているかどうかも検証できず、
美辞麗句を言っているだけ、になってしまうからです。
日本人も、異なる価値観に遭遇した時に、
「なぜ異なることを言うのだろう?」
と、その都度驚くカルチャーを卒業して、
「異なることを言うのが当り前」
と受け止められるようになることが必要な時代となりました。
そして、異なる意見を尊重し合うからこそ、
これまでにはなかった驚くような視点や発想を共有でき、
思いがけない進化を生み出すことができるのです。
これからの医療現場では、
いよいよ一人一人の視点や発想を出し合う
全員参加の総力経営がますます必要となってきています。