■「うちは民主的にやっています」
という組織があります。
病院の中にも、民主的にやることが大事だと考えているところもあります。
もちろん、民主主義は大事です。
民主主義とは、個人の尊重の総体であり、
個人が尊重されない環境の中では、
人が幸せになることはないからです。
ところが、
「民主的にやっている」
のに、必ずしもうまくいかないのは、
この
「民主的」
には、
「幼い民主的」
と
「成熟した民主的」
があることを知らない人が多いからです。
■人類が支配を必要とするようになった時、
「君主制」
が生まれました。
それに不満を持って、
「大事なことをみんなで決めよう」
と生まれたのが、
「民主制」
です。
この時点では、
「みんなで意見を言えることが、君主制よりマシだ」
という「幼い民主的」考え方でした。
しかし、やがて
「みんなで決めても、良い結果になるとは限らない」
と学習して、
チェック機能付きの民主制をつくったのが
「成熟した民主的」考え方です。
わかりやすいところでは、
第二次世界大戦で、
「民主制も暴走する、恐いものだ。
きちんと自分たちをチェックしよう」
と学んだのが、
ナチス党支配を生み出して、戦後も世界的な批判を浴び続けたドイツです。
そのため、ドイツでは、議会が決めたことに対しても、
さまざまな形でチェックする機能が設けられています。
一方、学んでいないのが、日本です。
「議会が決めたなら、そう間違いはないんじゃないの」
と、「幼い民主的」考え方なので、
寛大もしくは無関心もしくは諦め体質が根強いというわけです。
■そんな背景があってか、
我が国では、組織運営においても、
「民主的に決めたこと」を疑う、という発想が乏しいのです。
しかし、わたしたち一人ひとり、胸に手を当てて考えてみればわかることですが、
つねに生産的で建設的で前向きなことばかりを考えているわけではありません。
「やりがいや誇りを持って働きたい」
と思う反面、
「利益。利益と言わないでほしい」
「あまり細かなところまで見て評価しないでほしい」
それでいてさらに、
「できるだけ早く帰りたい」
「もっと給料があったら良い」
という願望も合わせ持っています。
そんな人たちの声をすべて反映していたら、
「民主的」
ではありますが、生産性が上がることはありません。
そして、それは結果的に、
「生産性が上がらないから、待遇も良くならない」
「休みも増やせない」
ということになり、つまるところ、
「やりがいも誇りも大して感じられない」
ということにいたります。
■したがって、企業や病院といった組織も、
「ただみんなの声を聞けば良い」
という
「幼い民主的」な考え方を卒業した方が良いのです。
「みんなの声の中には、後ろ向きで消費的なこともたくさんある。本当にそれで良いのか?」
とチェックする機能を備えることです。
また、病院や組織の側は、
「本当に組織として求めているのは、生産的・建設的な意見だ。
それがみんなのやりがいや誇りにつながるのだから」
とみずからチェック機能となることです。
その証拠に、
みなさんが黙っていたのに、
「現場から自然発生的に、生産的・建設的な組織になりましょう」
という取組が生まれたことは、ほぼ無いはずです。
■重要なのは、
「人間には、前向きな心と、後ろ向きな心とがあり、
自己不一致がある」
ということです。
そして、
前向きな意見と後ろ向きな意見とでは、
「病院・組織にとって意味のあるのは、前向きな意見だ」
と自覚し、
前向きな意見を選別し、尊重するというチェック機能を備えることです。
それができていない事例をいくつか紹介しましょう。
▶︎たとえば、
「職員間のコミュニケーションが大事だ」
と気づいたまでは良いが、そこで
職員のボーリング大会や、納涼大会が催された、
というケースです。
病院・組織が求めているのは、
コミュニケーションならなんでも良い、というわけではありません。
問題提起や改善提案が気兼ねなくできるような、良い関係性です。
余計なことにまで耳を傾けていれば、
「民主的」
かもしれませんが、決してうまくいくことはありません。
そうやって、本当に必要なのは何か、選別すれば、
「せっかく職員の声に耳を傾け民主的にやっているのに、
どうもうまくいかない」
という間違いに陥らなくて済むはずなのです。
▶︎あるいは、職員満足度の向上が大事、
と気づいたまでは良いが、そこで
職員の要望をなんでも聞き届け、
電子レンジを買ったり制服を新しくしたりした、
というケースです。
病院・組織が大切にしなければならないのは、
施設・設備や待遇といったモノ・カネの満足度ではありません。
むしろ、
「この仕事には、理屈じゃない魅力がある」
「この職場には、お金じゃ買えない瞬間がある」
といった、本当のやりがいや誇りを持てることです。
余計なことにまで耳を傾けていれば、
「民主的」
かもしれませんが、決してうまくいくことはありません。
そうやって、きちんとチェックすれば、
「民主的にやっているのに」
という間違いに至らないのです。
▶︎あるいは、新しい施策を導入しようという時にまで
「うちは民主的なんで」
と、職員の意見をなんでも聞いていると、
新しい施策は、ほぼ導入されません。
というのも、現場職員は、目先のことを片付けることが仕事だと思っているので、
新しいことをできるだけ拒む、という性質があるからです。
しかし、
病院・組織が大切にしなければならないのは、
「できません」
という現場の後ろ向きな声まで尊重することではありません。
むしろ、
「この施策で、わたしたちも成長しよう」
という声を引き出すことです。
「嫌ですぅ〜」
「忙しいですぅ〜」
「時間がないですぅ〜」
といった余計なことにまで耳を傾けていれば、
「民主的」
かもしれませんが、決して前進することはありません。
本当に意味のある意見はなにか、をきちんとチェックし、
建設的・生産的な意見に耳を傾ければ、
「民主的にやっているのにうまくいかない」
という間違いに至らないのです。
■まとめると、
「人間には、自己不一致がある」
そして、
「聞いてはならない方の声を聞いていてはダメ。
聞くべき声を聞かなければダメ」
ということです。
生産的・建設的な声を引き出さなければいけません。
その選別をせずに、
「民主的なので」
と、何でもかんでも聞いていると、
職員の方も履き違えて、
待遇や人事についてまで、
勝手な注文や要望などを平気で書いて出してくるようになってしまいます。
無闇に意見を尊重していると、職員は
「言ったらやってくれるものだ」
と勘違いしてしまうのです。
また、病院・組織側も、
「言われたらやってあげなきゃ、職員のモチベーションが上がらない」
と勘違いして、応えようとしてしまっているところもあります。
なんとおかしな構造ではないでしょうか。
■職員の声を聞きましょう!
ただし、建設的・生産的な声を、です。
そして、
職員の声を聞いてはなりません!
消費的で後ろ向きな声は、真に受けて応えようとする必要はありません。