■誰もが、みな
「自分なりに充分やっている」
と思いたい心理があります。
「まだ足りない」
「まだ頑張るべき」
と、自分で顧みることはあっても、
他者からは言われたくないでしょう。
そのため、
他者からあれこれ言われないように
自分を隔離する傾向があります。
それが、蛸壺化や独善化を生み出します。
それは同時に、孤独化であり、
わかってもらえないという心理が、
他責発想にもつながります。
また、独善化に陥ると、
「自分は正しい」という考えが暴走しやすいので、
周囲を傷つける危険をはらむようになります。
限られた視界に写ったものだけが世界なので、
周囲の人間と揉めてみたりします。
自分だけがものさしなので、
時と場合によって自分を律することができず、
ひどく自堕落な言動をすることもあります。
なにしろ、蛸壺の中は密室なので、
「恥しい」
と感じる必要がないのです。
「自分に恥ずかしくないのか?」
と言われても、
自分が自分を見るだけなので、
「何が恥ずかしい?」
とピンと来ません。
そんな状況に陥っている人を時々見かけませんでしょうか?
あるいは、部署まるごと、
そんな状況に陥っている様子を見かけることはないでしょうか?
自分自身も、蛸壺化していたかも、
と思い当たることも無くはないのではないでしょうか。
それだけ、人はそうした状況に陥りやすい、ということでしょう。
では、そんな状況に陥らないようにするためには、
どうすれば良いか?
■蛸壺化しないためには、
つねに自分を蛸壺の外に出すこと、
つまり、公開化・公表化することです。
要するに、
自分の言動がつねに第三者から見える環境に
自分を置くことが、
独善化・孤独化・他責発想、自分は正しいという考えの暴走から、
自分を避難させる、最も確かな方法となります。
「自分に恥ずかしくないのか?」
と言われてピンと来ない人ならば、
「自分の家族に、ありのままを見せられますか?」
と聞き直してみれば良いでしょう。
あなたの言動を公開化しますよ、という意味です。
職場では、居丈高に主張しているけれど、
家族が見たら、
「それは言い過ぎじゃない?」
「パパのやり方はちょっと・・・」
と言われるのではないか、と冷静に考えてみたり、
公開化されて世間からどう言われるかを想像すれば、
「家族には見せられない」
「YouTubeにアップされるのはいやだ」
「部下職員の親御さんにまで胸を張って説明できないかも」
と、改めて
「恥」
という概念を覚えることでしょう。
■組織運営においても、
いじめ、体罰、DV、パワハラも、また、
公開化すれば、その多くがなくなるはずです。
また、トラブルがあった時に、どう対処するか?
その対処方法も、公開化することができれば、
(アメリカの公文書のように、後々公開する、というのも悪くない制度です)
当事者は、必死に考えて判断することでしょう。
たとえば、よく、
「片方を異動させれば、もめなくなる」
とか、
「相手は業者だから、取引しなければ、もう来ることはない」
といって、
接触しないようにすることで解決したことにしてしまう、という組織も多々あります。
これでは、根本的な解決にはなりません。
その組織・経営者・管理職の対応力の無さが、如実に現れます。
もし、対応力がある組織・経営者・管理職ならば、
公開してでも、事態を改善するものです。
基本的に公開化する姿勢があれば、
どこから
「そんなんでいいのか?」
という声が上がるかわからない中で、
「つねに社会が納得してくれるような妥当な結論を出そう」
としますから、
おのずと、蛸壺化を防止することができるというわけです。
第三者の目を意識するので、
独善化を回避することができ、
周囲との関係性を持つので、
孤独化することもなくなりますから、
他責発想になってしまうということもありません。
みなさんの現場では、
経営者・管理職が、
情報を公開化してでも健全化する力を持っているでしょうか?
そこに、組織の能力が現れます。