説明厳禁! 傍観者的な部下に、当事者意識を持たせるには…

説明厳禁! 傍観者的な部下に、当事者意識を持たせるには…

■よく上席者が、

「この件について、もっと意識してほしい」

「今回の事例について、よく考えてほしい」

と呼びかけをしている場面を見ます。

 

わたし自身も、よくやっていました。

 

しかし、なんと意味がないことでしょうか。

 

■もし、

「危機感を持ってほしい」

と思って、

「このままでは 80%の確率で、5年以内に潰れる」

というデータを示したとしましょう。

 

おなじ話を聞いて、

「これは大変なことだ!いますぐなんとかしなければ」

と感じる部下もいれば、

「20%は大丈夫。しかもまだ5年もある」

と思う部下もいます。

 

つまり、説明をしてもデータを示しても、

感じ方は人それぞれなのです。

 

感じない人は感じないのです。

 

なので、どうしても、

「この件について、もっと意識してほしい」

「今回の事例について、よく考えてほしい」

と呼びかけてしまうのですが、

やはり感じない人は感じないので、

この呼びかけに、意味はない、というわけです。

 

呼びかけている方の自己満足でしかありません。

 

■コマーシャルや営業マンのトークでも、

「ご安心ください」

という表現があります。

 

安心とは、考えて生まれるものではなく、

感じられるかどうか、

なので、

「ご安心ください」

と言われて、

「では安心しよう!そして安心できた!」

という体験をしたことは、みなさんもないでしょう。

 

ご安心くださいと言われても、

安心できないときはできません。

 

ご安心くださいと言われなくても、

心から安心できて、

「この人に任せてみよう」

と思えることもあります。

 

むしろ、

言葉で

「ご安心ください」

と言い出すのは、

そこまでのプロセスで、心からの安心を提供できなかった証拠でしょう。

 

相手が安心してくれていれば、

もうすでに、

「ご安心ください」

と言う必要もないのですから。

 

■というわけで、

「危機感」にしろ「安心」にしろ、

感じるようにすることが重要であって、

「感じなさい」

ということほど無意味なことはない、ということです。

 

「危機感」や「安心」を感じられずピンときていない人に、

「感じなさい」

といっても、

相手にとっては、口の中に入れたものを

「美味しいと感じなさい」

と言われているようなものですから、

押し付け以外の何物でもありません。

 

職場で、ピンときていない人に

「この件について、もっと意識してほしい」

「今回の事例について、よく考えてほしい」

と呼びかけるのは、押し付けでしかないということです。

 

■したがって、

「この件について、もっと意識してほしい」

「今回の事例について、よく考えてほしい」

と言葉で言わなくても、

「感じさせる」

ことが何より重要だということです。

 

では、どうすれば良いでしょうか?

 

それは、ひとえに

「できるだけ説明しないこと」

に尽きます。

 

考えてみれば、わたしたちも、自分自身を振り返ってみれば、

説明によって学習することはほとんどなかったはずです。

 

・損をする

・得をする

・喜ばれる

・嫌われる

・快適さを感じる

・不快感を覚える

・ひどく疲れる

・抱きしめられる

……といった体験によって、

「これは大事だ」

という学習を、肌で感じながら学習してきたことでしょう。

 

にも関わらず、

会議室の説明でなんとか分からせようとするのは、

そもそも

「横着にもほどがある」

やり方ではないでしょうか。

 

それなのに、

「会議であれだけ説明したのに、まったく危機感を持っていない!」

などと不満を抱くのは、自業自得とも言えるでしょう。

 

……と言うことに気づかず、

かくいうわたし自身、そんな失敗を数限りなく繰り返してきましたが、

いま考えてみれば、

なんと不毛なことをしてきたことか、と思います。

 

また、説明を聞かされだけなのに

「なぜピンとこないのだ!」

と言われていた部下たちが、今は気の毒でもあります。

 

■なので、重要なのは、

「できるだけ説明しないこと」

です。

 

説明しないとすれば、どうするか?

 

人は、注いだものが多ければ多いほど、注いだものへの関心が強くなる傾向があります。

 

心理構造としては「執着」と呼ばれるものでしょう。

 

何を注ぐかといえば、

・労力

・時間

・想い

・それらの結果生まれたお金

などです。

 

労力や時間や想いを注ぐほど、

人はその対象に対する当事者意識が強くなります。

 

自分ごととなり、

大切に思えることがらになれば、

「このままでは 80%の確率で、5年以内に潰れる」

というデータを聞いて

「20%は大丈夫。しかもまだ5年もある」

などと言ってはいられなくなります。

 

それが全身全霊を注いだ我が子のことだったら、

「このままでは 80%の確率で、5年以内に死ぬ」

と言われれば、

今この瞬間から、できる限りのすべての手を尽くそうとするでしょう。

 

仕事についてであれば、

・労力

・時間

・想い

を注がせることです。

 

本人の関心が低いうちは、

注ぐものは少なくても構いません。

 

徐々に当事者意識を高め、

次第により多くのものを注ぐようになればよいのです。

 

なので、まずは、

「会ってきてもらう」

「行って、見てきてもらう」

ということから始まり、

 

「手伝ってきてもらう」

「相談に乗ってもらう」

「代わりにできることをしてあげてもらう」

といった浅い参加体験に進み、

 

「一部を任せてみる」

「部外者対応をしてもらう」

「企画運営に加わってもらう」

などのように、

対外的にはすでに関係者のような立場になってもらうような

深い参加体験に進んでゆく中で、

当事者になっていってもらう、ということになるでしょう。

 

実質的に当事者になってもらえれば、

きっとその部下は、

みなさん以上に、

当事者意識が高くなり、

むしろその部下自身の方が、

訴求力のあるインフルエンサーとなってくれることでしょう。

 

■「会議室の説明で良い」

と考えるのは、

上意下達が基本だった昭和時代の、

指示命令体質の悪しき名残りにほかなりません。

 

これからの時代に、

自律進化体質を醸成してゆくのであれば、

一人一人が発信できるだけの

強い価値観が必要となります。

 

なので、1日も早く、

会議室から飛び出し、

できるだけ説明しない主義へと、転換することをお勧めします。