負責病の事例(15) 「部下を育てなければならない」

負責病の事例(15) 「部下を育てなければならない」

■かなり以前のこと。

 

九州を訪れた時に、

シマサルナシという果物を紹介していただきました。

 

みずみずしく爽やかな味わいで、

きっと高級なフルーツなのだろう、と思ったことを覚えています。

 

食べながら、

「自分の家のベランダで作って、東京でまた食べられるだろうか?」

と考えていました。

 

もし、自分の家で果物を作るとすれば、

・プランターをベランダに置き、

・夏は日除け、

・冬は霜除け、

・栄養剤を注入し、

・こまめに水をやり、

・風が通るように気を配り、

……花を咲かせて果実を収穫することになりますが、

 

それは手間もかかり、

手入れも難しく、

なかなか収穫には至らなそうです。

 

ところが、聞いてみると、

日本国内でも南国の

海岸付近で、

条件の合うところでは、

びっくりするくらい自生しているのを

発見することがあるという話で、驚きました。

 

現地の方の話では、

「自生しているものは

味も香りも強いばかりか、

翌年また来れば、また採れる。

さらに伸びて、

より多くを採れることもあり、

みんなで分けることもできる」

とのことでした。

 

生き物は、

条件さえ合えば放っておいても、

元気に育つものなのでしょう。

 

逆に、

条件が合っていない状況の中では、

どんなに手を加えても、

それは無理を強いているだけで、

元気に育つことはない、ということです。

 

このことは、見方を変えれば、

「あれこれ手を加えて育てようとしているということは、

条件が合っていない状況の中で、

無理を強いているということであり、

もし元気に育って欲しいならば、

放っておいても良い条件を与えてやる方がはるかに良い」

ということです。

 

■ここからが本題です。

 

もし、部下職員に

大きく活き活きと育って欲しいなら、

部下をどうにかしようと無理を強いるのでは、

みなさんご自身も疲労するばかりか、

その結果、あまりうまくいかない、ということです。

 

むしろ、

みなさんが放っておいても良い

伸びる環境を見つけて、

部下職員の方々を放り込んだ方が、

はるかに効果的だ、ということでしょう。

 

「人は、教育によって育たず、環境によって育つ」

と言っても良いでしょう。

 

■「職員を育てる」

という言い方をする人は多いのですが、

「育てる」

という言葉は、

おそらくプランターで水やりというイメージに近くはないでしょうか?

 

「部下を育てる」

という考え方を卒業する……、

といっても、

「どんな状況におけば良いのか?」

 

そのカギは、

「代謝」

です。

 

みなさんが、手塩にかけて、あれこれ与えても

伸びる条件のない状況の中では、

そもそも部下職員は、

代謝(つまりOUT-Put)が悪いので、

吸収(つまりIN-Put)も悪くなってしまい、

健やかに育つことはありません。

 

そんな、

悪い環境や悪いタイミングの状況下では、

みなさんが、

いくら励ましたりご飯を与えても

しっかり食べてくれませんから、

背が伸びず、

表情は乏しく、言葉少なになり、

活力がなくなってゆくことになります。

 

■というわけで、

大切なのは、

成長させたいならば、

「成長に適した条件の中に放り込むこと」

です。

 

人は、身体でも精神でも、

代謝(OUT-Put)せざるを得ない状況になれば、

みずから吸収(IN-Put)する必要に迫られます。

 

植物ならば、

代謝(OUT-Put)せざるを得ない状況下では、

みずから

水や栄養を根から吸い上げ、

日の光や新鮮な空気や温度を求めて枝を伸ばし、

多くを吸収(IN-Put)して、

ひとりでに育って行くことになります。

 

誰かが手入れをしなくても、

勝手に育ってゆきます。

 

もちろん、栄養剤もいりません。

 

そんな生命力ゆたかな成長の末には、

大いに葉を繁らせ、

大地に広く根を張り、

揺るがない太い幹となり、

豊かな実をたくさんつけてくれることでしょう。

 

人間も同様で、

代謝(OUT-Put)せざるを得ない状況下では、

みずから

さまざまな資料を手に入れて調べ、

書籍やセミナーから情報を得て、

人に会いに行って学び、

現場を知るために体験しに出かけたりと

多くを吸収(IN-Put)して、

ひとりでに育って行くことになります。

 

誰かが教育や指導をしなくても、

勝手に育ってゆきます。

 

もちろん、研修や合宿を企画する必要もありません。

 

そんな生命力ゆたかな成長の末には、

大いに視野を広げ、

広く数多くの仲間をつくり、

揺るがない自信と信念を持ち、

予期しなかったような前進や改革を実現してくれることでしょう。

 

残念なのは、

世の中のほとんどの教育研修担当者が、

どんなテーマにするか、

どんな講師を呼ぶか、

どうしたら受講者が退屈しないか、

といった

IN-Putしか考えていないことです。

 

教育研修担当者こそ、

「自分自身がこれでいいのか?」

を考え学ぶべきでしょう。

 

ただ、それももとを正せば、

教育研修担当者が悪いわけでもありません。

 

経営者・上層部が、

教育研修担当者を、そのように考え学ばなければならない状況に

放り込んでいないからそうなってしまうのです。

 

研修が終われば、

受講者アンケートをとる程度で終わっているので、

教育研修担当者も

「教育(IN-Put)すれば良いのだ」

と勘違いしてしまっている、

ということが実態ではないでしょうか?

 

これからは、ぜひ、

「わたしが育てる」

という発想をやめて、