■人間の感情の作用は、物理法則と同じ性質がある、
と考えると、
一見、複雑怪奇な人の心がスッキリと見えてきます。
たとえば、誰かに頼みごとをして、
まったくそんな気が無かった人に動いてもらうということは、
例えて言えば、
運動エネルギーゼロで微動だにしない大きな岩を
横から押して、
ゴロ、ゴロ、ゴロゴロ・・・・・と
運動エネルギーを与えて、
ついには、
ゴロゴロゴロゴロ・・・・・と
大きな運動エネルギーを帯びて勢いよく転がるようにすること
と、同じです。
なので、その人に、願いを聞いてもらい、
頼んだことを果たしてもらった時には、
大きな運動エネルギーを帯びた大きな岩を受け止めるつもりで、
動かした時と同じエネルギーを持って臨まなければ、
弾き飛ばされたり、押しつぶされてしまいます。
■もし、
「ちょっと頼みがあるんだけど」
とブースに呼んで頼んだならば、
お礼をいう時も、ブースに呼んで、感謝を伝えた方がよいでしょう。
廊下ですれ違いがてらにお礼を言ったのでは、
相手のエネルギーの方が大きいので、
「なんだ、この軽い扱いは?」
と不満を持たれてしまうことでしょう。
もし、
「どうしてもお願いしたいことがありまして」
とお店を予約して、一席設けて頼んだならば、
お礼を言う時も、お店を予約して、しっかりと感謝した方がよいでしょう。
電話や手紙で済ませてしまったのでは、
相手のエネルギーの方が大きいので、
「頼む時はあんなに頭を下げてきたのに、用事が済んだらこれか」
と感じさせてしまい、信用をいっぺんに失うことでしょう。
もしあなたが必死で大きな岩を転がしたならば、
岩を止める時には全力で臨まなければ、
真剣さにおいて負けてしまうのです。
廊下の立ち話で頼んだなら、廊下でも良いですが、
わざわざ電話で頼んだなら、少なくとも電話で、
直接時間をとって会ってもらって頼んだなら、少なくとも改めて会って、
場所を設定して頼んだなら、少なくとももう一度場所を設定して、
・・・頼んだ時と同じ、あるいはそれ以上に手間と時間をかけて
お礼を示さなければ、
こちらの感謝の気持ちが大きいことが伝わらず、
それ以上に真剣に臨んでくださった相手をがっかりさせてしまうことでしょう。
■このように、
頼んだ時とお礼を言う時は、
せめて同じ態様で(もしくはそれ以上に真剣に)臨むようにすると良いので、
「終始同態」
ということにしています。
もちろん、相手が、
思いのほか真剣ではなかったということもあり得ますが、
その時には、誰も傷つかないので、問題ありません。
反対に、
こちらが知らないうちに、
休みを取って調べてくれていたり、
他の約束を延期して出かけてくれていたり、
手土産を持って自分の恩師に相談に行ってくれていたり、と、
思いのほか真剣に受け止めてくれていた、ということもあり得ます。
しかし、心の中は見えませんから、
少なくとも、
同じ態様にしておくことをお勧めします。
■ところで、もっと大事で、気をつけなければいけないのは、
頼みごとをした後、
やはりその人に協力してもらわなくても良くなった、
という場合です。
人は自分の危機が過ぎ去ると、とたんに関心が薄くなり、
それが如実に態度に現れるものなので、
よくよく自戒しておくことが大切だと思います。
なので、
ブースに呼んで頼んだことならば、
しなくても良くなったと伝える時も、
ブースに呼んで、きちんとお礼を伝えた方がよいでしょう。
もし、お店を予約して、一席設けて頼んだならば、
しなくても良くなったと伝える時も、
お店を予約して、
「お騒がせして、たいへん申し訳ありませんでした。
お引き受けいただいた時には、どんなに心強かったか」
と、しっかりとお礼を述べた方がよいでしょう。
やはり、
一度、大きな岩を転がして大きなエネルギーを及ぼした以上、
結果的に頼んだことをしてもらわなかったとしても、
相手の心は大きな感情のエネルギーを帯びているはずなのです。
もしかしたら、
相手はすでにいろいろと考えたり、
動いてくれていたかもしれないのです。
なので、
少なくとも、頼んだ時と同じ態様で感謝を伝えることが大事ではないでしょうか。
■なお、こちらが
終始同態を心がけていても、
相手が
「そこまでするには及ばないよ」
と言ってくれるのであれば、それに甘えても問題ありません。
しかし、まず一度は、同じ態様またはそれ以上の態様で、
「時間をいただけますか?」
と相談すれば、それだけで、お互いの関係が良くなるはずです。
■このように、人間の感情が
物理作用と同じ性質を持っていると思って
人の言動を見ると、見えてくるものが多いのではないでしょうか。