人事評価という名の「儀式」を卒業せよ

人事評価という名の「儀式」を卒業せよ

■我が国では、

「人事評価」

が、研究されてこなかったと言えるでしょう。

 

たとえば、人事評価表に

「計画性をもって物事を進めたか」

「自発的に取り組んだから」

「リーダーシップがある」

などの項目に、

それを5段階で評価するということが、よくあります。

 

しかし、

その各項目について、

「何をもって4をつけるのか?

なぜ5ではないのか?

なぜ3ではないのか?」

…は、各上席者の「主観」に委ねられています。

 

なので、

「何をもって4をつけるのか?

なぜ5ではないのか?

なぜ3ではないのか?」

を説明することができる人はほとんどいません。

 

「完璧じゃないから5ではなく、

平均よりはやっているから3ではない。

だから、とりあえず合格点の4。」

と、なんとなく4に落ち着く、ということが多いでしょう。

 

しかし、とりあえず合格であっても、

5に近い4、つまり、

「おおむね今の状態で良く、マイナーチェンジが必要な4」

なのか、

3に近い4、つまり、

「良いところもあるが、今の状態のままでは不足であり、抜本的

な改善が必要な4」

なのか、は、

大きな違いではないでしょうか?

 

それでも、誰も疑問を感じずに(なのか?あるいは、良き方法がわからないので諦めてなのか)、

さして説明することができないまま、

主観で評価をつけるという風習が、当り前のようになっているのが、

日本の人事評価ではないでしょうか。

 

■このように、

結局は上席者の「主観評価」となっていること以外にも、

我が国の人事評価が粗雑さが見受けられます。

 

▶︎たとえば、

多くの場合、直属の上司が評価をつけた後に、

さらにその上の上司が登場して、

「二次評価」

をすることがあります。

 

なぜ、もっと見えていない人が、

評価に関与してくるのでしょうか?

 

もし、あなたの裁判で、

結審の際にだけ、新たな裁判官が裁判長として関与してきたら、

「それで妥当な判決をしてくれるのか?」

と思うのではないでしょうか?

 

▶︎また、たとえば、

多くの場合、直属の上司の一次評価で、

極端に良い評価や極端に低い評価がつけられた場合、

二次評価によって、

極端なところを、ほどほどの評価に是正されている、

ということがあります。

 

極端な評価をするには、それなりの理由があるはずですが、

二次評価者は、

「強いひいきや、強い非難は、感情的なものではないか」

という憶測をするためか、

「まあまあ、冷静に」

とばかりに、修正されてしまいます。

 

日頃、部下の働きぶりを見ていない人が関与すれば、

つねにそれを目の当たりにしている当事者ほど、

極端な決断をすることはできませんから、

ほどほどの評価に修正することになるのは、当然です。

 

もし、あなたの裁判で、

結審の際にだけ、当事者ほど現実を知らない裁判官が関与してきたら、

あなたの主張が軽んじられ、

「ほどほどの」

判決にされてしまうのではないか、と思うのではないでしょうか?

 

■このように、

考えてみれば粗雑な人事評価がまかり通っていますが、

それで成立してきたのは、

日本が永く、高度経済成長を続けてきた、

という背景があったからです。

 

細かいことを主張しなくても、

毎年春になれば、ベース・アップが約束されており、

賃上げが行なわれることが当り前で、

 

春闘とは、

「その幅が小さくなるか、大きくできるか」

という交渉だったのですから、

こんなに恵まれた状況はありません。

 

しかも、昭和の時代には、

終身雇用制度が前提でした。

 

大企業では、いまも

(役職定年という制度はあるにせよ)

何らかの形で働き続けることができるように配慮が尽くされています。

 

このような前提条件のもとでは、

真剣に人事評価をする必要はなかったことが、

我が国で、

合理的な人事評価が研究されずにきた原因だと言えるでしょう。

 

平たく言えば、日本では、

「真剣に人事評価をしてこなかった」

ということです。

 

■しかし、その前提条件は、いまはもうありません。

 

終身雇用制度はありません。

 

実際、正規雇用どころか、

非正規雇用労働者が多くを占めています。

 

その正規雇用労働者にとってさえも、

ベースアップが行なわれるのは大企業で、

その他の大多数の企業では、

「業績が上がった時にだけベースアップする」

という、本来の状況になっています。

 

経済成長も、企業の業績アップも、当り前ではないので、

それぞれの組織が

真剣に生産性をアップすることを迫られているのが、

現在の我が国であることは、

みなさんもご存知の通りでしょう。

 

したがって、

最も大きなコストがかかる人件費を最大活用するために、

真剣な人事評価をしなければならなくなっているのが、

実情です。

 

これまでのような、

・主観評価、

・当事者ではない二次評価者の関与

・極端な評価を理由なく是正する

……といった粗雑な人事評価を、

一日も早く、卒業しなければならなくなっていることは

すでにお判りでしょう。

 

■すなわち、

これからは、

▶︎客観的な事実に基づく評価を実現すること

です。

 

そして、

▶︎どのような事実をもってどのように評価するか?(1、2、3、4、5のどれにするか)を、論理的に説明できるようにすること

が必要です。

 

これを整備すれば、

当事者である直属の上司による一次評価が客観的に尊重され、

二次評価者が関与しなくてもよく、

もし関与しても歪められることはありません。

 

まして、

「極端に高いから」「極端に低いから」

という感情的な理由で、

「ほどほどに」

修正されるということもありません。

 

■こうして、

客観的かつ論理的に評価をすることで、

「属人的な評価」

「感情的な評価」

を排して、

組織を適正に活性化してゆかなければ、

これからの組織は、健全に生き延びてゆくことはできないでしょう。

 

いまは、もう高度経済成長期ではないのですから。

 

では、どうすれば、

そのような客観的・論理的な人事評価が可能となるのでしょうか?

 

計画性、自発性、リーダーシップなどが、

3なのか、4なのか、5なのか、を、

適正につけるためには、

どうすれば、客観的事実を検証できるようにし、

どうすれば、論理的に理由づけできるようになるのか?

 

そのために、まず必要不可欠なのは、

評価の材料となる、

職員の仕事ぶりについての情報を、

「上司が取りにゆく」

という昭和時代のならわしをやめることです。

 

そもそも、上司が部下の仕事ぶりをすべて把握することなど不可能なのですから。

 

また、

「部下がまじめにが張っていれば上司がちゃんと見てくれて適正に評価してくれる」

という学校のような文化が、

部下職員を依存的にしてしまっている原因です。

 

部下職員が、

自分の仕事ぶりについては、

客観的な事実をもって、

自分から主張させることが必要です。

 

そのことによって、

部下職員の依存的なところを直し、

上司もまた客観的事実をもって人事評価できるようになります。

 

それらの情報を日々、精査することを通じて、

「どのような客観的事実をもって、

3なのか、4なのか、5なのか、を適正につける」

技能を身につけることも可能となります。

 

本当に、人を大切にし、

職員に元気を与え、

やりがいと誇りに満ちた職場にするならば、

これまでのような人事評
価という名の「儀式」は

もう卒業して、

適正な人事評価を整備しなければならないのではないでしょうか。

 

■そこで問題になるのが、

「職員が、自分の仕事ぶりについて、客観的に事実情報を上げてくるようになるのか?」

でしょう。

 

もちろん、

「半年に一度まとめて提出」

などという方法では、正確・適正な情報が上がることはありません。

 

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