主観評価を徹底排除する意味

主観評価を徹底排除する意味

■一般に、職員のモチベーションを上げるとともに、生産性を上げるために、

「職員評価」

を行なっていると言えるでしょう。

 

ところで、経営の父、ピーター・ドラッカーは、

「測定できないことに責任を持ってはならない」

と言っています。

 

なぜなら、測定できないことを請け負った場合、

責任を果たしたのかどうかは、

依頼者側の「主観評価」に委ねられてしまうからです。

 

どんなに一生懸命に責任を果たしたつもりでも、

依頼者の一存で評価されてしまう、ということになるのです。

 

これは、上司部下、依頼者受託者の関係が悪くなるばかりです。

 

したがって、組織においても、上司側は

「測定できないことについて、部下に責任を負わせてはならない」

ということが言えます。

 

■主観評価とは、要するに、上司の一存できまる

「ブラックボックス」

であり、もしかしたら

「場当たり的評価」

「恣意的評価」

になっているかもしれません。

 

部下の立場は、

いわば、目隠しをしてバッターボックスに立たされるようなものですから、

モチベーションが上がることはありません。

 

また、日頃、

「生産性を上げるように」

と求められ、

選択と集中を意識している部下職員にとってみれば、

 

その一方で、

「なにがどうなれば満足されるのか」

が明かされず、

無理・無駄・ムラを強いられることになれば、

「生産性を上げなくても良いのか?」

という不信感につながります。

 

そもそも、

「生産性を上げろ、というならば、

何をもって良しとされるのか、最初から基準を明示してほしい」

というのが、部下職員の本音でしょう。

 

■このように考えてみれば、

「なにがどうなれば満足されるのか?」

が明確になっていない主観評価は、

徹底排除されなければならないことがわかります。

 

協調性、自主性、計画性、指導力、統率力・・・、

大切な項目かもしれませんが、

「できている、できていない」

を主観で評価していては、

上層部や上司が求める組織にはなり得ません。