「やってくれる人もいる」では、管理職失格

「やってくれる人もいる」では、管理職失格

■どんなことを進めるにしても、

本質を見抜かなければ、本当に有効な手を打つことはできません。

 

症状だけをみて、対症療法をしても、

本当の病因をなくすことができないので、

治らない、というのと同じです。

 

というわけで、

「本質を見抜け」

という人がいますが、

「それがわかれば苦労しない」

というのが本音のところでしょう。

 

また、

「本質を見抜け」

などと言っている人ほど、本質を見抜けていないことが多いでしょう。

 

もし本質を見抜くことができている人は、

「どうすれば本質を見抜くことができるか?」

を説明できるからです。

 

本質とは、

「それを除いたら、成り立たない」

という中核をなすもの、と言えば良いでしょうか。

 

■しかし、世間においては、

大抵の場合、

本質不明のまま、さまざまに施策を講じている、と言っても過言ではないでしょう。

 

たとえば組織づくりにおいて、

よく、

「しっかり取り組んでくれる職員もいるのだから、みんながしっかり取り組めないはずがない」

と言った意見を聞くことがあります。

 

「同じ学会に行ってきて、意識が高くなった職員がいるのだから、他の職員も意識が高くならないはずがない」

ということもあります。

 

「気がついた人がやりましょうということになり、ちゃんと気づいてくれる職員もいるのだから、気づけない職員がいることがおかしい」

ということもあります。

 

「できる人がいるのだから、できないはずがない」

という前提です。

 

こうなると、

「なぜできない人がいるのだ?」

「おかしい」

「そんなはずはない」

「なぜだ?」

と、出口の見えない迷路で苦しむことになります。

 

そもそも、

「やってくれるのが当り前」

と考えてしまうと、

やってくれないことが説明がつきません。

 

説明がつかなければ、

適切な対処ができないので、

解決もしない、ということです。

 

■そこで、

「本当にそうなのか?」

「人間の本質はどちらなのか?」

を考えれば答えは明らかです。

 

そもそも、

しっかり取り組んでくれる職員がいたら、その職員が殊勝なのです。

 

同じ学会に行ってきても、意識が高くなった職員がいたら、その職員が殊勝なのです。

 

気がついた人がやりましょう、と言われて、どんどん気づいてくれる職員がいれば、その職員が殊勝なのです。

 

そうでない職員の方が圧倒的に多いのですから。

 

そして、どの組織においても、

殊勝でない職員をどう変えたら良いのか?に

悩んでいるのですから、

みずから変わってくれる職員がいれば、

それは奇跡だと考えた方が、現実を直視していると言えるのではないでしょうか?

 

それを信じたくないあまり、

「できている人がいるのだから、みんなできるはず。

できないのがおかしい」

と、自分に言い聞かせているというわけですが、

そんな幻想を前提にして、

良い施策を講じられるわけがありません。

 

素直に現実を直視して、

「できないのが当り前。ではどうするか?」

と、手立てを考えた方が、

むしろ科学的で合理的ではないでしょうか?

 

■「やってくれている人がいるので大丈夫」

というのは、そのヒトに依存した

「属人経営」

であり、そのヒトの意識に依存している以上、

そのヒトが変わった時には、

なんの対処もできません。

 

したがって、

「これまではあの職員がいてくれたからできていた」

ことができなくなってしまうのです。

 

これでは組織づくりとは言えません。

 

「やってくれている人がいても、いなくても、

できる組織になるように、コントロールできなければなりません。

 

でなければ、

「できている」

という状態を永続することができないからです。

 

職員が入れ替わっても、

外部環境が変化しても、

一定の価値観のもとでみんなが働く組織であることが望ましいでしょう

 

それが組織づくりです。

 

■そのためには、

本質を見抜かなければなりません。

 

それも、

「人間はどういうものか?」

という本質です。

 

言えばやるのが人間の本質なのか?

 

学会にけば意識が高まるのが人間の本質なのか?

 

気がついた人がやりましょうと言われてやるのが人間の本質なのか?

 

さらには、

自分から責任を負ってでも頑張りたいのか?

 

正しいことならどんどんやろうとするのが人間なのか?

 

大変なことでも、人に貢献できることならしたくなるのが人間の本質なのか?

 

誰がみていようといまいと人の役に立ちたいというのが人間の本質なのか?

 

■得てして、旧来の組織論では、

人間を美化して捉えており、

前向きで崇高な生き物であると理解されているきらいがあります。

 

マズローの5段階欲求でも、

人間は、安心安全が得られ、愛や所属が得られれば、自己実現を望むようになり、

さらには、自己超越という貢献だけを追求する境地に至る、とされていますが、

マズロー自身が、貢献だけのために生きる崇高な人間になったのか?と問われるのではないでしょうか?

 

このように、人間を美化しすぎていると、

人間の本質を見誤り、

「崇高な人間なのに、なぜできないのか?」

と答えが出なくなってしまうものです。

 

人間に過度に期待することなく、

人間の本質を見抜かなければ、

適切な組織づくりはできないのです。

 

■もし管理職が、

「うちでは、やってくれている人もいるから、それが広がればいいと思っている」

と言っているようでは、

その意味で、管理職失格と言わざるを得ないかもしれません。