■承認されることで、
「とてつもない勇気と元気を得ることができる」
と感じない人は稀でしょう。
患者さんもご家族も、
職員の方から、
「何でも言ってみてくださいね」
と言ってもらえたら、心から安心することができ、
「この病院は別格だ!」
と感じることでしょう。
■しかし、こうした話をすると、しばしば
「実現できないことを希望されたら、どうするのか?」
と、質問されることがあります。
「実現できない」
にも、
多大な時間や労力や費用がかかる、ということもあれば、
物理的・科学的に不可能、ということもあります。
「承認」
とは
「無条件に理解し応援すること」
です。
そもそも人間は、
叶わないことでも願ってしまうこともあり、
また、それを応援したいと思っても、
できることしかできないのですから、
できる範囲のことをするより他ないのです。
願った通りにならないことについて、
悲しみを感じても、
一方、
その時、それを願った自分と同じ気持ちで、
周囲にいる医療従事者が、
「なんとかすることはできないか?」
と一緒に考え悩み、承認してくれたことは
間違いなく心の支えになるのです。
■その心理構造は、
たとえば、グリーフケアの場合と同じです。
大切な人を亡くした遺族は、
「死んだあの人にいますぐ会いたい」
「子供が生きていた日に、時間を巻き戻したい」
と、実現できないことを願ってしまうものです。
しかし、周囲に、
「あなたがそう願うのは当たり前。
それを叶えてあげることはできないけれど、
いつでも、できることはするからね」
と、いつもそばにいてくれる人が一人でもいたら、
どんなに心の支えになることでしょうか。
もし、自分が、大切な人を亡くし、悲嘆に暮れている時に、
「あなたが願っていることは叶えてあげられないから」
と考えて、
そばにいてくれる人が誰ひとりいなかったら、
きっと、
「この世に、わたしの居場所はないのだ」
と感じて、
生きる希望の一切を見失ってしまうのではないでしょうか。
■このように、
必ずしも願ったことを叶えることだけが大事なのではなく、
「承認(無条件に理解し、応援すること)」
には承認の大きな意味があるのです。
医療現場で当たり前のように使われている
「心に寄り添う」
という言葉の意味は、
実は、こういうことではないでしょうか。
なので、患者さんの願いを、
過大な費用や労力や時間をかけずに叶えることができることなら、
実現してあげればよいのです。
また、実現してあげられない場合には、
職員みんなで、
「代わりにこんなことならできる」
という提案をしてみることはできないでしょうか?
その代替案を受け入れるかどうかは、
患者さんが選ぶことですが、
たとえ、代替案を選ばなかったとしても、
「みなさんが自分のためにみんなで悩み考えてくれた」
ということは、
必ず患者さんの心に響いているはずです。
■東京にある王子生協病院で、
かつて、このようなことがありました。
在日朝鮮人の90歳代の男性が入院していました。
身寄りもなく、
寝たきりになって久しく、
最近は、目を開ける時間も少なくなり、
手足を動かすことも乏しくなってきました。
そんな様子を見てきた看護師の一人が、
「生きる気力も損なわれてしまっている。
きっと、こんな患者さんこそ、心の支えを必要としているに違いない。
少しでも、生きる希望を与えられないだろうか?」
と考えました。
そこで、
「遠い異国の地で、死を待つばかり、と思っているのではないか。
とすれば、本当は母国に帰りたいと願っているかもしれない。
せめて、韓国語を聞かせてあげることができたら、
わずかなりとも元気を取り戻せるのでは」
と思いついたのです。
その現場では、職員同士も
「なんでも言ってみて。できることはしよう」
と言い合える関係性が築かれており、
早速、みんなに相談しました。
そこで、看護師は、自宅から持ってきた
ポータブル・ラジオを病室に持ち込み、
韓国の放送を傍受しようと試みましたが、
病室では、電波を捉えることはできませんでした。
次に、病室のテレビで、韓国のドラマを見ることができないか、
と考えましたが、
有料の有線放送を新たに契約することもできませんでした。
それでも、なんとか患者さんを元気にすることができないかと思いつつ、
しばらくの間、
途方に暮れていた看護師に、
ある時、師長が声をかけました。
「うちのグループの中に、韓国語を話せる職員がいたことがわかった。
業務の都合をつけて、
うちの病院に来てもらえないか、頼んでみた」
というのです。
師長も
「なにかできることはないか」
と、部署の内外に相談するなどしてさまざまに動いてくれていたのでした。
果たして、
まもなくその職員は、仕事の調整をして、
病院まで足を運んで来てくれたのです。
目を閉じたままの患者さんに、
突然、話しかければ驚かせてしまうので、
職員は最初、日本語でそっと話しかけました。
しかし、反応はありません。
そこで、韓国語で話しかけてみると、
久しく手足を動かすことのなかった患者さんが、
ぎゅっと看護師の手を握り返してくれたのです。
目を開けることも、
何か言葉を発することもありませんでしたが、
その患者さんの目にはうっすらと涙がにじんでいたといいます。
■患者さんの心は、
きっと、
幼い頃に過ごした祖国に帰り、
懐かしい家族との時間を過ごしていたのではないでしょうか。
「ありがとう」
という言葉こそ聞かれませんでしたが、
看護師をはじめとした職員の方々の心が届き、
患者さんの心に響いたことは、疑いようもないことでしょう。
■「自分もこうしなければならない」
と思う必要はありません。
「こうしてあげたい」
と思える人が、思える時に、すればよいのです。
そして、できる時に、できる範囲で、すればよいのです。
それが
「承認」
です。