■以前、接遇研修を実施したいとの相談があり、
伺った病院でのこと。
「職員の方々は、接遇に関して、どのような状況ですか」
と訊くと、
看護部長は、
「接遇に対する意識を高めてほしい」
とのこと。
たしかに、なぜ接遇を向上するのか?
その目的が明確でなければ、
研修をしても効果はありません。
ところが、話すうちに、しばらくすると、看護部長は、
今度は、
「どんな対応がよいのか、具体的な立ち居振る舞いのポイントを教えてほしい」
といいます。
「職員はみんな患者さんのために、と一生懸命やっているんですが、どうもそれが伝わらないようで」
とも。
「では、意識を高めるというよりも、
具体的な手法を学びたいということでしょうか?」
と訊くと、
「いや、意識も高めてほしい」
■すでにお気付きのことと思いますが、
職員の意識が低いのであれば、
接遇の目的を明確にし、職員の意識を高める研修をしなければなりません。
意識の低い職員に、
接遇のテクニックの話を聞かせても、
「関心なし」
という反応が返ってくるだけです。
反対に、職員の意識が高いのであれば、
具体的な接遇の方法、ヒアリングや表現の方法がわかる研修をする方が効果的です。
すでに意識の高く、患者さんに一生懸命向き合っている職員に、
「なぜ患者さんに向き合うことが大切か」
という話を聞かせても、
「大きなお世話」
でしかありません。
意識の高い職員も低い職員もいて、
どちらにも良い研修にしたいので、
「接遇への意識づけもしてほしい。テクニックも教えてほしい」
と欲を張れば、
総花的な研修になるので、
どちらの職員に対しても、パンチの効かない研修になってしまいます。
一回の予算と手間で済ませたいからと、
風邪にも結核にも効く薬を要望することが、
結局、その予算と手間を無駄にすることにしかならないことは
改めて言うまでもないでしょう。
風邪には風邪の、
結核には結核の、
それぞれ適した治療方法があることは、
医療現場であれば、自然に思い浮かぶはずですが、
なぜか、研修となると、
そうした発想がなくなってしまうことがある人もいるようです。
■その看護部長は、
「クレームについても話してほしい」
と言うので、
「クレーム対策は、
自分たちの身に起こるかどうかもわからない例をあげて
一般論を話しても意味がありません。
他人事じゃないと思って聞いてもらえるように
貴院の事例を提供していただけませんか?」
と提案しました。
すると、
「うちは、精神科の患者さんが多くを占めるので、
クレームといっても、
精神疾患が原因のものもあるんです」
と言います。
「精神疾患由来のクレームと思しきものは除き、
職員の対応に由来するクレームだけを選んでいただければ
結構です。
対応由来のクレームをみんなで学ぶことで、
より良い対応を考える研修にできます」
と説明しました。
ところが、その看護部長は、
「精神疾患由来のクレームと、職員の対応に由来するクレームと、分類していない」
と言うのです。
クレームを振り返って、
何をどう改善するかを検討することが、
これまでにもできていなかったことでしょう。
精神疾患由来のクレームへの対処と、
職員の対応に由来するクレームへの対処とは、
おのずと異なります。
問題の原因が異なれば対処の方法が異なる、
ということは明らかでしょう。
■この件に限らず、人は、得てして、
「ざっくりととらえるクセ」
があります。
大雑把に捉えて、
大雑把に対応するので、
改善しない、ということが
日常においても、多々発生しているのです。
そのざっくりしたやり方のために、
自分一人が、無駄や無理を被るのはまだ良いのですが、
職員を巻き込み、現場を動かすとなれば、
こうした無駄や無理が、
組織全体に、とてつもないストレスを及ぼします。
舵取りがブレれば、
全体が大きくブレてしまうからです。
そして、
ストレスが大きければ、
組織の求心力は損なわれ、
本来できるはずのこともしなくなってしまいます。
組織運営にとって
致命的な損失に見舞われることでしょう。
もし、組織を一枚岩にして、
その力を最大限に発揮させたいと考えるならば、
つねに、
「大雑把になっていないか?」
を確認することが大切です。