なぜ、会議が「上司への報告会」になってしまうのか?

なぜ、会議が「上司への報告会」になってしまうのか?

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■時々、

「うちの会議は、トップへの報告会になってしまっているのです」

という声を聞くことがあります。

 

トップが強烈なリーダーシップを持つと、

確かに、議論や意見交換が生まれません。

 

トップの鶴の一声で、

バッサバッサと捌かれてしまうからです。

 

また、トップの視点で捌かれてしまうと思うと

敢えて、話し合いを持ちかける職員もいなくなってしまうからです。

 

その結果、

管理職会議の場では、

各部門・各部署から話されることは、いずれも現状報告だけ、となってしまいます。

 

しかし、

いまの時代であれば、

報告するだけなら、メールで充分ともいえます。

 

各部門・各部署からデータを、

互いに全部門・全部署に配信すれば、

瞬時に情報共有することができます。

 

それをもとに議論や意見交換をするのでなければ、

わざわざ集まるほどの必要もない、ということになります。

 

そして、

「うちの役職者会議は、トップへの報告会になってしまっている」

という結果に陥ってしまうのです。

 

説明やデータを示して伝達しても、

臨場感がないので、

聞く側のマインドが高まることはありません。

 

せっかく顔を合わせて話しても、

メールで情報を配信しているのと変わりない、ということです。

 

■みなさんの中にも、

「こんな会議じゃ意味がない」

「どうしたら、もっと大きな気づきを得たり、もっと行動につながるような会議ができるのだろうか?」

と考えている方はあるのではないでしょうか。

 

「説明やデータで人は動かない」

という性質は、

ことさらトップや上席者に限ったことではありません。

 

部下職員もまったく同じです。

 

説明やデータを突きつけて、

声を大にして訴えかけるほど、部下職員は

「また上司の演説が始まった」

とでも言うように、心の殻を閉じていってしまう、

ということが多々あるでしょう。

 

■では、どうすれば、

参加者が目を覚ますような、

活きた会議にすることができるでしょうか?

 

それは、

もう、

「会議」

をしない、ということです。

正確に言えば、

いわゆる「会議」という形を捨ててしまうことです。

 

会議室で、

みんなで顔をあわせて、

資料を手にして、

言語情報を交わす・・・という形を

壊してしまうことです。

 

会議室でやる必要などありません。

 

地域のことが説明やデータからでは肌感覚でわからないならば、

その時間は地域に飛び出した方が良いでしょう。

 

みんなで顔を合わせても

大事なことが見えてくることはないのですから、

大事なことがどのようになっているのか、

どんどん見にゆけば良いのです。

 

資料を手にするよりも、

現場を見るのです。

 

「この部門はなかなか効率が上がらない」

という問題があるなら、

管理職みんなで、その部門にゆき、

手伝ってみればよいでしょう。

 

言語情報を交わすよりも、

体験を通じて確認した方が、

はるかに現状がわかるはずです。

 

外来のことが問題になっているなら、

管理職みんなで外来に行くのです。

 

会議は夕方に行なっているので、

「午前の状況がわからない」

というならば、

次回は、

午前に集まる工夫をすれば良いのです。

 

会議中に、ある職員から詳しく情報を得なければ話が進まない、ということがあるならば、

「では、次回までに上司がヒアリングしておいて、

それをもとに、次回話し合いましょう」

と先送りするのではなく、

いますぐ、その職員に来てもらうことです。

 

その場で聞けば、時間が無駄になりません。

 

上司がヒアリングするよりも、

本人から直接聞く方が、はるかにリアリティがあり、

内容の濃い話を聞くことができるのです。

 

■そもそも、

言語情報だけでなんとか済ませようとすること自体が、

横着以外の何ものでもありません。

 

本当に状況を知り、

対策を講じたいのならば、

みずから足を運び、

みずからの肌で体感できる方法を

選ぶことが大切です。

 

そして、それは上司に対しても、

部下に対しても

同じことが言えます。

 

■屋外の寒さを教えたければ、

「寒いよ」

と伝えるのではなく、

屋外に出してやることです。

 

できるだけ、

会議室で言語情報を交わす、という

いわゆる「会議」を

しない方法を探究してみることをお勧めします。