■しばしば、研修を依頼をいただくことがあります。
時間や予算やタイミングなどの制約がある中でも、
「なんとか、少しでも現場を変えたい」
というご要望です。
一般に、研修会社は、
「研修で変わります。この研修をお勧めします」
と売り込むことでしょう。
それが商売ですから。
しかし、
「研修会社が、『この研修で組織が変わる』と勧める
研修を導入する」
ということから始まると、
絶対に、組織は変わりません。
なぜなら、
それはちょうど、
「予備校が、『このカリキュラムで志望校に入れる』と勧める
カリキュラムに申し込む」
という発想と同じだからです。
カリキュラムに申し込んだ後、
自分が頑張って勉強しなければ、
学力が上がり、
志望校に入ることはできません。
予備校が代わりに勉強してくれるわけではないことを
忘れてはなりません。
同様に、
研修会社の研修を導入した後、
組織や職員が頑張って実践しなければ、
病院が良くなることはありません。
研修会社が代わりに病院をよくしれくれるわけではないことを
忘れてはならないのです。
■そこで、患者サービス研究所では、まず
「研修で変わることはありません。
研修には限界があります」
とお伝えするところから相談が始まります。
この点は、みなさんも、むしろ
賛同していただけるのではないでしょうか。
「研修を受けさせても受けさせても、なかなか現場が変わらない」
と感じているとすれば、
それは正しいことです。
なので、
その点についてコミットした上で、
「そのうえで、今回は、その制約の中で、
変わることにつながるよう、できる限りのことをしましょう」
とお引き受けしています。
■研修では、組織は変わらない。
とすれば、どうすれば良いのでしょうか?
「研修で変われる組織になりましょう!」
という研修をするのでしょうか?
昭和の時代にはそんな研修が世間中に広がっていましたが、
もう卒業することをお勧めします。
■そもそも、
なぜ、
研修を受けただけでは変わらないのでしょうか?
なぜ、
学んだだけで、身につかないのでしょうか?
それは、端的に言って、
「必要に迫れていないから」
です。
たとえば、わが国では、
小学生に始まり大学生になるまで、
英語の授業を受けていますが、
会話力は一向に身につきません。
というのも、
忠実で従順な国民をつくるために、
大学受験をはじめとして詰め込み教育が行なわれてきた結果、
勉強は、IN-Putでしかありませんでした。
しかし、語学は、
OUT-Putによって始めて身につくものです。
しかも、
「いま目の前の人に自分の考えを伝えたい」
という内発的な必要性に駆られた時、
頭脳がフル回転して、徐々に話すことができるようになるのです。
なので、
10年以上学校で教わって
山ほどの英文を読んでも書いてもほとんど喋れないのに、
アメリカに行って2,3週間もすれば、
なんとか買い物をしたり、
道を聞いたりしなければならないなど、
対面で話したいという衝動が働くので、
カタコトが話せるようになる、というわけです。
伝えたいことがなければ、
話せるようにはならないのです。
■つまり、成長させたければ、
「必要に迫られる環境に放り込むこと」
です。
確かに、集めて話を聞かせるといった研修形式よりも
手間がかかるでしょう。
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昭和時代の経営陣や管理職の中には、
そんな手間をかける必要があるのか?
(研修ではダメなのか?)
という方もたくさんいるでしょう。
しかし、組織づくりをして、
職員に思うように動いてもらうようになるためには、
手間がかからないはずがないのです。
幻想を捨ててください。
その代わり、必要に迫られた時、
人はびっくりするくらいの底力を発揮して、
成長してくれるはずです。
アメリカの街に2,3週間置き去りにしましょう。
2,3週間後に迎えに行った時には、
かなり話せるようになっているはずです。
ぜひ、
「この部下にとっていま、
どんな状況に放り込むのが、最も良い学びを得てくれるのか?」
を探して、
「必要に迫られる環境」
を見つけることをお勧めします。
ただし、部下本人が
「必要に迫られる環境に追いやられた」
と感じてしまうと、みなさんを恨むことになってしまうので、
そうせざるを得ない口実を設けておく方が良いでしょう。
置き去りとは言うものの、
「置いていかないで」
と泣いてすがるのを振り払って
「おまえだけ、2,3週間残って英語を身につけなさい。
わたしは先に帰る。
おまえのためだからな」
と言ってしまったら、関係が悪くなります。
「どうしてもわたしだけ先に帰国しなければならなくなった。
緊急事態だ。
現地での用件が残っているので、
おまえ一人でなんとか役目を果たしてきて欲しい。
お前を一人残してゆくのは断腸の思いだが、
いま会社を救えるのはおまえだけなんだ。
どうだ、やってくれるか?」
と言った方が、
本人も、不安もある一方、
「ヒーローになれるなら、いっちょやるしかないか」
という前向きな気持ちで開き直れることでしょう。
■そしてさらに、
そんな体験をした部下は、
帰国してから、
「自分の守備範囲が広がった。
これからもっと広げるためにも、
やっぱり、きちんと英語を学びたい」
と、自分から学ぶようになるはずです。
みなさんの現場の職員も、
必要に迫られる環境を体験すれば、
いかに学びが大事か、身にしみてわかることでしょう。
そして、これまでみなさんが心を砕いて
さまざまな研修を催してくれていたことに、
心から感謝するはずです。
■昭和から平成の時代の社員教育の悪いところは、
この
「必要に迫られる環境」
も何もなく、頭ごなしに
押し付け教育を施すことが、
世の中全体の常識になっていた点です。
みずから考えない、忠実で従順な人間をつくってきた、
つまり、
人を人として尊重も活性化もしてこなかった古い時代は、
それでもよかったのかもしれません。
これからはその感覚を、
一日も早く捨てましょう。
そして、職員が
目を血走らせて、
あるいは
目を輝かせて、
みずから成長しようとするよう、
その環境を設計することをお勧めします。
そのための具体的な方法は、
また別の機会に掲載します。