■「議論に勝って関係を壊す」タイプの人がいます。
友人とも議論を厭わず、
会議でも積極的に発言する。
おおむね理論的なので、
論破することはあってもされることはない。
しかし、
ロジックを駆使しているものの、
結局、
自論を押し付けているだけで、
正論を吐くものの、
本人がそんなに立派なわけでもないから、
心からの賛同を得ることはない。
・・・そんなタイプです。
周囲は
「あなたのいうことも正しいが、それだけが正しいわけではない」
と思うけれど、
本人は、自分は理論的に正しいと思っているので、
それがわからない。
こうして、
「議論に勝って、関係を壊す」
というタイプの人が少なくないでしょう。
たとえ継ぎ接ぎの理論による自己弁護であっても、
本人はそれに気づかず、
具体化と抽象化、
定量と定性、
一般論と特殊論などを
自在にすり替えて自己正当化するから、
周囲は議論する気もなくなってしまう。
本人は負ける気がしないから
言いたいことがあるのに言わない人の気持ちを
理解できず、
「なぜ言わないのか?」
と心から思っている。
戦意喪失させたことが勝ちだと思い込んでいる。
相手から
「あなたに大切なことを気づかせてもらった」
「話をしてもらって力が湧いてきた」
などと、輝く目で言われることなど、ほぼない。
無駄に理論的であるがために、
相手には不快感だけをもたらすからです。
世の中には、この厄介なタイプの人に
困ったり苦しんだりしている人は少なくないのではないでしょうか。
■周囲が苦しいだけでなく、
こういう人は、
人生で幾度となく
「議論に勝って、関係を壊す」
ということを繰り返し、
あちこちにぶつかりながら社会生活を送っているので、
「なんだか生きにくい」
と感じていますが、
自分が正しいと思っているので、
なかなか目が覚めません。
■そこで、
本人のためにも周囲のためにも、提案です。
こういう人に、
名前をつけてみる。
たとえば、
OLP (Over Logical Person) と。
いかなる事物でも、
名前がついた瞬間、
社会から一定の意味を持ってカテゴライズされます。
Overとあれば、
そこにカテゴライズされることを好む人はいないでしょう。
「あの人、OLPの傾向があるよね」
そう言われた本人がOLPだった場合、
「傾向があるとは、どんな条件を満たした場合か?
それは誰が何を持って判断するのか?
そんなことを人に言うべきではない。
どういう必要性があって言うのか?」
などと言い出すことでしょう。
「その言動そのものが、
まさにOLPであることを証明したも同然です」
となります。
■実際には、
人それぞれに常識があり、
それぞれの正しさがあり、
いちいち言語化していない価値観があるものです。
たとえ自分がロジカルに考えていても、
そのロジックに乗って考えるかどうかもまた、
相手次第であり、
さらには、対話しない自由もあるのです。
議論に勝っても勝ちではありません。
それどころか、
対話に向き合ってもらえなければ
議論する以前の問題です。
そもそも、こちらも敬意を持たなければ
対話に向き合ってもらうこともできません。
■実は、わたし自身が、
何度となく、議論に勝って関係を壊してきた経験があります。
周囲の方々には、申し訳ない限りです。
この構図にもっと早く気づけば良かったと思っているところです。
もし、
『OLPのトリセツ』というような本が、
書店に並んだりすれば、
当事者も自分を客観視することができ、
その暴走を、かなり防止できるのではないか、と考えています。