常識を疑え!「原則と例外」を見誤れば事態は好転しない

常識を疑え!「原則と例外」を見誤れば事態は好転しない

■組織づくりの要はリーダーのチームづくりにほかなりません。
しかし、リーダーに状況を聞くと、さまざまな回答が返ってきます。

では、以下のうちどれが、
状況を正確に捉え、良いチーム創りができるリーダーの回答でしょうか?

  1. 「だいたいみんなよくできているので、心配ありません」
  2. 「できていないスタッフも多いですが、一方で、中にはできているスタッフもいるんです」
  3. 「できているスタッフもできていないスタッフもいます」
  4. 「中にはできているスタッフも多いですが、一方で、できていないスタッフもいるんです」

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■例えば、ある村では、
必ず村人の5割がある病気にかかるという。

そして、
その病気にかかれば、
熱を下げたり、
痛み止めをつかったり、
悪い部分を切除したりして、
なんとか延命を試みているが、
残念ながら、
必ず村人の3割が、その病気で死ぬという。

そしてそんな状態が
20年以上もの間、続いているという。

みなさんなら、
もし、
そんな恐ろしい奇病が流行っているなら、
「症状を緩和することも大事だが、
そもそも、
その村の文化に特有の原因があるのではないか?」

そして、
「そんな病気にかからないように、
まず、
村の文化を見直してみることの方が重要なのではないか?」
と考えるのではないでしょうか?

そして、
よその村では同じことが起きていないということは、
よその村を見習うことで、
この奇病は解消できるかも知れない、と考えるでしょう。

■すでに、お察しの通り、
この奇病とは、ガンであり、
この村とは、
2人に1人がガンになり、
3人に1人がガンで亡くなる、日本のことです。

とすれば、
ガンの対症療法を研究することはもちろん重要ですが、
それ以上に、
「ガンにかからないように、
まず、
いまの日本人の文化を見直すことの方が重要なのではないか?」
と考えるべきかも知れません。

文化とは、
食べている物かも知れません。

水質や大気かも知れません。

衣類や建築、食器や洗剤などの生活物資の素材かも知れません。

さらには、
人間関係などのメンタル面の問題かも知れません。

いずれにしろ、
奇病がよその村で見られなかったならば、
よその村を見習うことに、
奇病にならなくなるヒントがあるはずであることと同じように、
ガンは昔の日本ではこれほど見られなかったのですから、

昔の日本を見習うことに、
ガンにならなくなるヒントがあるはずではないでしょうか。

■にも関わらず、なぜ日本では、
「ガンにならない生活」
の研究を国策とするのではなく、
「ガンを治す方法」
が着目されがちなのでしょうか?

そこには、
原則と例外を逆に捉えてしまう
誤りが
あるからです。

すなわち、
「ガンになるのが原則で、
例外としてならないこともある」
という認識をしていては、
いつまでも対症療法に明け暮れることとなり、
根治療法たどり着くことがありません。

そもそも、
「ガンになるのは珍しくない」
「ガンになるのも当り前」
「2人に1人はなるものだ」
ということを原則のようにとらえてしまって
良いのでしょうか?

この原則を土台に考えてしまえば、
この土台を覆す発想は出てきません。

ガンを前提として考えてしまえば、
対症療法を考えることにしか至らず、
根治療法を模索する発想は出てこないのです。

わたしたちは、
得てして、こんなふうに、
原則と例外を逆転して見てしまっていることが多々あります。

その結果、
つい対症療法に走ってしまうという傾向に陥っています。

そこで、
本当は、どちらが原則でどちらが例外なのか?
を見直すことをお勧めします。

昔の日本を見習えば、
「ガンにならないのが原則で、
例外としてガンになることもある」
という思考を取り戻し、
根治療法を前提に考えることができるでしょう。

いま認識している
「その原則と例外は正しいのか?
逆ではないか」
という視点を持って、
本質を見極めることが
対症療法に拘泥せず、
根治療法にたどり着く近道です。

■さて、冒頭の事例についての回答は以下の通りです。

もし、1のように、
本当によくできているスタッフばかりだったら、
リーダーは、そんな表現はせず、
何がどれだけできているか、という話をします。

「どれだけできています」
という事実の方が説得力があるからです。

また、2のように、できているスタッフの方が少ないにもかかわらず
「原則としてできている。例外的にできていない」
という認識になっているのは、
原則・例外が逆転していて、
実情が見えていない、ということに他なりません。

さらに、3のように、
「どちらもいる」
という状態は、
リーダーとしてコントロールできていないことを示します。

もしくは、
どちらが主なのかを把握できていない、

つまり充分現場に関与できていないリーダーである可能性が大きいでしょう。

したがって、4の
「原則としてできてない。例外的にできているスタッフもいる」
と認識ができているリーダーが、
冷静かつ客観的に状況を理解できていると言えるでしょう。

「原則としてできていないのだから、
対症療法ではダメだ。
根治療法を施して、
原則としてできている、と言える状態に変えてゆこう」
という発想になれるからです。

なお、
どんなにマネジメントがなされていない組織でも、
例外的にできているスタッフはいるものです。

しかし、
それはそのスタッフ個人の人柄や能力によるものであり、
マネジメントの成果ではありません。

個人の人柄や能力、つまり属人的な要素に支えられている組織運営は、
「属人経営」
であり、マネジメントでもなんでもありません。

そのスタッフがいつかいなくなったり、
やらなくなった時には、
手を打つことができないからです。

なので、属人的な要素に依存せず、
「原則としてできてない。例外的にできているスタッフもいる」
「だから根治療法をしなければ」
と、みずからを客観的にとらえることができる人が、
マネジメントの本質をとらえる視点を持っているリーダーだと考えられるでしょう。

■ただし、
「原則と例外が逆ではないか?」
ととらえる力は、
「常識を疑う能力」
でもあります。

どうすれば、
常識を疑い、本質を見極めることが、
「習慣的に」
できるようになるのでしょうか?

それは、
「常に感じたことを、言語化して発信すること」
に尽きます。

毎日は、小さな違和感や些細な気づきの連続です。

しかし、言語化し発信しないので、
表層的にとらえる視点が定着してしまい、
課題も見えなくなってしまう結果、
その病んでいる状態を、
「それが原則」
ととらえるとようになってしまうのです。

なので、日々、
小さな違和感や些細な気づきを
言語化し、発信することで、
毎日、自分に、
「本当に、それが原則で良いのか?」
を自問することが必要なのです。

職場であれば、
スタッフ同士が、
一緒に言語化するアクションを習慣化すれば、
毎日、自分に
「本当に、それが原則で良いのか?」
と自問する思考が、スタッフ全員に習慣として身に付きます。

■そのための、
1日5分のコミュニケーション・モデルが、
『HIT-Bit』
です。

ご自身の企業・病院・組織を、
スタッフ全員でどんどん進化する組織にしたいならば、
つねに
「原則と例外が逆ではないか?」
と疑い、
言語化して発信し合うコミュニケーションを
お勧めします。

当り前だと思っていることのほとんどが、
誤りです。

常識を疑う習慣を身につけ、
本質を見抜ける組織を創ることをお勧めします。

HIT-Bitについては、
1Dayセミナーを開催しています。