前号からのつづき・・・
■患者さんは、聞こえていないかのように、
振り向いてもくれませんでした。
そこで、わたしが
「結論は変わりませんが、どのように探したか、ご報告してもよろしいでしょうか」
と訊くと、患者さんは、眉間にしわを寄せながらも、
「早く言え」
と言うかのように、ため息をつきました。
そこでわたしが
「実は、その後毎日、この者と二人で、
朝早めに出勤して、この病室の前から、廊下を辿り、エレベーターで階下に降り・・・」
すると、新聞を睨んでいた患者さんの表情が変わりました。
「あの後も探していたのか」
と、わたしたちの方に顔を向けたのです。
そして、
「わたしなら、保険金を渡したらそこで終わりだ。
それ以上、法的責任もないのだから。
それなのに、きみたちはずっと探していたのか……」
とつぶやくような声で言ったのです。
その日以来、患者さんは、その病棟の多くの職員のうち、その看護助手にだけは好んで話しかけて下さるようになりました。他の職員が見たこともないような優しい顔で、いつも名前を呼んでくれたのです。
以前の勤務先のOB仲間や、現役で働く後輩社員たちが見舞いに来るたび、彼女をわざわざベッドサイドに呼びつけては
「もう一人新しい娘ができた。こんなにいい子はいない」
と、実の娘のように紹介して自慢してくれたのです。
やがて秋も深まり、患者さんの病状は確実に進行し、目に見えて心身が衰えてゆきました。
そして、12月の初旬の深夜、その患者さんは奥様と、中国から駆けつけた娘さん夫婦に看取られて、とうとう息を引き取りました。
看護助手が、まさか今夜急変が起こるとも知らずに帰った後のことでした。
あんなに可愛がってくださった患者さんが亡くなったことは、彼女にとっても、実の家族を亡くしたように大きなショックだったようでした。
しばらくの間、仕事が手につかない様子の日が続きました。
そして、クリスマスが近づいた頃、その看護助手は
「病院に勤務することで、こんなにつらいことがあるとは思いませんでした」
と退職を申し出てきたのです。
きっと、
患者さんの治った喜びの笑顔や感謝の言葉に満ちた場面を思い描き、
夢を持って一般企業から医療現場へ転職してきた彼女にとっては、
想像もしなかった重い出来事だったことでしょう。
しかし、年末に入るとともにそのまま退職してしまうのはあまりにも惜しく、
わたしは、
「年が明けてからもう一度だけ話し合おう」
と答えて返事を保留にしました。
時間が経つことで、気持ちが変わることを、ささやかながら願ったのです。
そして、年が明けた最初の勤務の日、その看護助手は、1日業務を果たした後、制服のまま私のところにきて言ったのです。
意外にも、
「わたし、もう少し頑張ります」
と。
その手には、一枚のハガキがありました。
患者さんが生前に出して下さった彼女あての年賀状が、病院に届いていたのでした。
そこには、
「人生の最後で、もう一人、こんなに良い娘と出会えるとは思わなかった」
といったことが書かれていたそうです。
その年賀状が彼女にとって胸のもっとも奥にしまっておきたい一番の宝物に違いなく、
軽々に見せて欲しいと言うのを、その時は遠慮したことが、
いま思えば心残りです。
この世に二つとない箸を無くしてしまったことは、たしかに取り返しのつかないことでした。
しかし、彼女の真摯な姿勢によって、患者さんとの関係性が築き直されることがあるということを知らされたのです。
《おわり》