知識やテクニックで良い関係性は築けない。では何か?

知識やテクニックで良い関係性は築けない。では何か?

◼️もし、自分が、若者から、
「どうしたら、あらゆる異性からモテるか? 教えて欲しい」
と頼まれたら、どう答えるでしょうか?

たとえば、
「どんな髪型や服装や立ち居振る舞いなら、モテますか?」
と聞かれたら、どう答えますか?

「髪型や服装や立ち居振る舞いに気をつかった方がモテるのは間違いないけれど、
髪型や服装や立ち居振る舞いを変えればモテるようになると思ったら大間違いだ」
と答えるのではないでしょうか?

そして、
「自分も、髪型や服装や立ち居振る舞いといった表面的なものだけで、
人を好きなることはないだろう。
にも関わらず、
自分は人から、表面的なものだけでモテようとするのは、
横着以外のなにものでもない」
と諌めるかもしれません。

あるいは、たとえば、
「相手の言葉に対して、どんな聞き方や受け答えをすると、モテますか?」
と聞かれたら、どうでしょうか?

「聞き方や受け答えが上手な方がモテるのは間違いないけれど、
聞き方や受け答えを身につければモテるようになると思ったら大間違いだ」
と答えるのではないでしょうか?

そして、
「自分も、聞き方や受け答えが上手といった対話のテクニックだけで、
人を好きなることはないだろう。
にも関わらず、
自分は人から、対話のテクニックだけでモテようとするのは、
横着以外のなにものでもない」
と諌めるかもしれません。

あるいは、たとえば、
「どんな気遣いのパターンを身につけると、モテますか?」
と聞かれたら、どうでしょうか?

「気遣いができる方がモテるのは間違いないけれど、
気遣いのパターンを身につければモテるようになると思ったら大間違いだ」
と答えるのではないでしょうか?

そして、
「自分も、パターン通りの気遣いができるというだけで、
人を好きなることはないだろう。
にも関わらず、
自分は人から、パターン通りの気遣いだけでモテようとするのは、
横着以外のなにものでもない」
と諌めるかもしれません。

◼️つまり、
「たしかに、多くの人から好感を持たれる
髪型や服装や立ち居振る舞いといった外観や、
聞き方や受け答えなどの対話のテクニックや、
パターン通りの気遣いは、あるとされている。
しかし、
あらゆる異性からモテるという方法はない」
というのではないでしょうか?

それどころか、
相手から、自分のその横着な考えが透けて見えたとき、
かえって相手は、嫌悪感を覚えるのではないでしょうか?

ではどうすればよいか?

そして、
「そもそも、
自分が、ある異性にとっての大切な人になりたいならば、
まず自分が、その人を大切にすることだ」
と答えるのではないでしょうか?

考えてみれば、
愛することなく、愛されたいと願っても、叶うことは困難。
・・・それは、あまりにもシンプルな原理でしょう。

つまるところ、なによりもまず、
相手の味方になること。

そして、相手が、
「この人は、いつも自分の味方だ」
と感じるような
「関係性を築くこと」
が大切なのではないでしょうか?

というよりも、そもそも、
「好かれる」とは「関係性を築くこと」そのものである以上、
「あらゆる異性」
という概念と関係性を築くことも不可能であり、
「どうすれば」
という言動によって関係性を築くことも不可能だということに
気づかなければならないでしょう。

◼️ここからが本題です。

実は、これと同じことが、
医療現場をふくむ多くの職場で、しばしば行なわれています。

たとえば、
「どうすれば、患者満足度を向上できるか?」
「どうすれば、風通しの良い職場になるか?」
といったテーマを考えるときに、どんな話題になるでしょうか?

接遇を向上しようとして、
髪型や服装や立ち居振る舞いを学ぼうとする例が、多々見受けられます。

たしかに、
髪型や服装や立ち居振る舞いに気をつかった方が
患者さんからの好感を得られるのは間違いないけれど、
髪型や服装や立ち居振る舞いを変えさえすれば患者満足度が向上すると思ったら大間違いでしょう。

また、患者から喜ばれ、職員同士が信頼し合えるように、
傾聴の方法、
コーチングや、ファシリテーション、アサーション、アンガーマネジメントなどの
対話のテクニックを学んでいる例が、多々見受けられます。

相手の目を見て、できればメモを取りながら聞くと良いと教わったこともあるでしょう。

NLPでは、
「対話をするときには、
ペーシング(話のテンポを相手に合わせる)
ミラーリング(相手の仕草をまねる)
バックトラッキング(相手の言葉を繰り返す)
などをすると、相手が無意識のうちに親近感を覚えて、
話しやすくなる」
といった、形のテクニックが教えられています。

たしかに、
対話のテクニックがある方が
相手が話しやすく傾向があるのは間違いないけれど、
対話のテクニックを身につけさえすれば患者から喜ばれ、
職員同士が信頼し合えるようになると思ったら大間違いでしょう。

さらには、同じ目的で、
気遣いのパターンを学んでいる事例もあります。

たしかに、
気遣いのパターンを習得している方が
その場その場で、相手とうまく接することができるのは間違いないけれど、
パターン化した気遣いによって、
患者から喜ばれ、職員同士が信頼し合えるようになると思ったら大間違いでしょう。

ところが、
世間では、
驚くほど、
髪型や服装や立ち居振る舞い、
対話のテクニック、
気遣いのパターンばかりが教えられています。

それは、そのニーズもまた多いからです。

そして、残念ながら、
器用な対応ができるようになっているものの、
患者さんから涙を流して喜ばれたり手を握って感謝されたり、
職員が
「この仲間だから、頑張れる」
という絆の固い職場が築かれたかといえば、
そうなることへの因果関係があるかどうかは見えない、
ということが多いように見受けられます。

そうした表面的な取組で良いのでしょうか?

◼️それどころか、
相手から、自分のその横着な考えが透けて見えたとき、
かえって相手は、嫌悪感を覚えるのではないでしょうか?

ではどうすればよいか?

考えてみれば、
自分が相手を好きになることなく、好かれたいと願っても、叶うことは困難。
・・・それは、あまりにもシンプルな原理でしょう。

つまるところ、なによりもまず、
相手の味方になること。

そして、相手が、
「この人は、いつも自分の味方だ」
と感じるような
「関係性を築くこと」
が大切なのではないでしょうか?

というよりも、そもそも、
「好かれる」とは「関係性を築くこと」そのものである以上、
「あらゆる患者」「あらゆる同僚職員」
という概念と関係性を築くことはできませんから、
あらゆる患者さんやあらゆる同僚職員とうまく接する方法など存在しないということも、
「どうすれば」
という言動によって関係性を築くことも不可能であることに
気づかなければならないでしょう。

実際、みなさんも、
「あらゆる相手とうまくコミュニケーションできる方法を身につけたから
あなたともうまくコミュニケーションできるのだ」
と思われたくないのではないでしょうか?

また、
「うまくコミュニケーションできる言動を身につけたから
つねにあなたと関わる全ての場面でうまくコミュニケーションできるのだ」
と思われたくもないでしょう。

「こうすれば絶対にうまくいくコミュニケーション」
などといったもので、
何でもクリアできるとは思われたくないのが心情です。

一方、
「この人は、いつも自分の味方だ」
と感じるような
「関係性」
が築かれたときこそ、
相手が大きな支えとなり、可能性を広げてくれる存在となるので、

その結果、
「かけがえのない大切にしたい相手」
となるのではないでしょうか?

◼️言い古された表現ですが、
「表面的なことではない。大事なのは人間性だ」
と言われます。

その本質は、
「この人はいつも自分の味方だ、と感じるような関係性」
ではないでしょうか?

そして、そんな関係性が築かれたとき、
患者さんから涙を流して喜ばれたり手を握って感謝されたり、
職員が
「この仲間だから、頑張れる」
という絆の固い職場が実現するのではないでしょうか。