■いま、
「人間の本当のモチベーションを大切にしよう」
という健全な時代になったと言えるでしょう。
かつて狩猟・農耕の時代には、
人間にとっては、働くことがそのまま生きることでした。
働くモチベーションは生きるモチベーションだったのです。
しかし、当時は、
人が所属するコミュニティは家族だったので、
コミュニティの幸せが個々の幸せでした。
それが、
産業革命を迎えると、
事業者が大量に人を使う必要に迫られた結果、
見ず知らずの人間を雇うようになります。
そこには、
豊かな雇用者に対して、
被用者は、
どんな環境でも働かなければ生きていけない状況がありました。
この状況は、
日本であれば、昭和の時代まで続きます。
経営者には絶対的な権力があり、
被用者は、生きるためには、石にかじりついても働き続けなければなりませんでした。
大量生産の時代でしたから、
被用者は、ロボットとして働いてくれれば充分でした。
そんな世の中の要請によって、
多くの工業高校や商業高校が
雨後の筍のように建てられたのはこの時期です。
本人の考えや望みは、まったく忖度されませんでした。
決められた通りに働いてくれなければ、
企画にのっとった商品を大量生産することができないからです。
たくさん働いた人にはたくさん給与を与えればよく、
それ以外の価値観も報酬も必要ではなかった時代です。
そんな職場環境でしたから、
今では考えられないようなパワハラ・セクハラも
当り前のように行なわれていたものです。
そんな中では、
「理不尽なことにも耐えられるヤツほど立派」
という考え方さえありましたから、
社員教育として、
「地獄の猛特訓」
のような研修がまかり通っていました。
夜中に40キロメートルも歩いたり、
街頭で大声で歌を歌うなどの、
まさに軍隊仕込みで、思想における戦時中の負の遺産に他なりません。
「いろいろ理不尽なこともあるけど、それでも頑張ろう」
とみずから励ます必要があったせいか、
世の中には根性論が大切にされており、
スポーツ根性もののアニメやドラマが流行っていたものです。
しかし、それでも、普通に働き続ければ、
クルマが買えて、家を建てられ、
子供たちを育てることもでき、
経済成長の支えによって、
老後は年金生活が約束されていましたから、
理不尽なことがたくさんあっても、
ロボットのように扱われることがあっても、
転職したり独立するのは愚かな者がすることであり、
就職した会社で、
真面目に定年まで勤め上げるのが美徳だった時代、
それが昭和でした。
■ところが、
バブルが弾け、失われた20年から始まったのが平成の時代です。
大企業も潰れるということを目の当たりにさせられ、
「理不尽な中で頑張って働いても報われるとは限らない」
ことを知らされました。
労働者側は
「勤めていれば将来が約束されている」
という希望が持てなくなっているのに、
企業側は、精神論やロボット社会の発想から頭を切り替えることができずにいたので、
自殺も増え、
多くの社員が病んだり辞めたりしたものです。
電通で自殺者が出て、社会問題となったのも、
昭和の発想の病弊が明らかになった事例です。
平成初期には、大事マンブラザーズが
「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと、それが一番大事〜」
と歌っていましたが、
根拠のない精神論が人を病ませることに気づいたのか、
平成の中期から終盤には、
「世界に一つだけの花」
「ありのままの姿見せるのよ」
と、自分を追い詰めてはならない、自分を解放しようと呼びかける歌が愛されました。
“text-align: left;”>それでも、企業側は昭和の時代の楽な組織運営の夢から目を覚ますことができず、
職場環境を良くしなければならないと頭ではわかっていても、
結局やっていることは、
いわゆるワークライフバランスと言いながらも、
残業を減らす、有給休暇を取得する、といった
待遇改善や制度設計に終始していました。
社員のメンタル疾患が増えすぎるために、
行なったことが
「ストレスチェックの義務付け」
です。
本来は、
「ストレスのない職場環境をどうつくるか?」
が重要であるにも関わらず、
チェックだけを義務付けるというのは、
世の中も産業社会も、
「どのようにすれば、人は本当に健全に働き、仕事を通じて幸せになることができるのか?」
など、眼中になかった現れとしか考えられません。
平成は、企業側が、
「どうやら押し付けだけではダメだ」
とうっすら感じるようになった時期でもあります。
そのため、社員教育は、
形だけは、ボトム・アップを取り入れ始めることになります。
たとえば、研修では、
「自分たちは会社のために何ができるか?」
というテーマでグループ・ディスカッションをさせて、
意見をまとめた意見を発表させるというものが一気に増えました。
社員の一部を集めてプロジェクト・チームを作り、
クレドづくりに取り組ませるということもありました。
ビジョナリー経営が大事だと言われたのも平成時代です。
しかし、すでにお気付きのことと思いますが、
これらは、ことごとく
「上層部の思想を、どうやって社員の口から言わせるか?」
という発想の域を出ていません。
目標管理制度と聞いて、
企業側が
「社員を統制するにはもってこいだ」
とばかりに導入し、実質的には多くの現場で
ノルマ管理制度として運用している、というのも、
こうした背景があるからです。
つまり形式的にはボトム・アップとしながらも、
「価値観はトップ・ダウン」
から変われずにいたのが平成の文化だったと言えるでしょう。
平成は、バブルが弾けてみて、
「我慢が美徳っておかしいよね」
「自分を解放しよう」
と気づきだした時代だったということもできます。
■しかし、
価値観の押し付けがまかり通り、
「職員の価値観を解放する」
という発想がないため、
「辞めたり、病んだり」
ということが減ることはありません。
なんとかして、職員のモチベーションを上げて生産性を上げなければならないことから、
「本当に職員を成長させ、組織を活性化するために、どうすればよいか?」
について真剣に考えなければならなくなったのが
令和の時代です。
まだ待遇改善や制度設計だけでなんとかできると思っているでしょうか?
ストレスチェックでは、
「働くことがストレスだ」
という印象操作になることこそあっても、根治療法にならない、ということもすでにご存知でしょう。
本当の働き方改革とはなんでしょうか?
■人のモチベーションを最も左右するのは、
「自分の価値観を解放できているか?どうか?」
でしょう。
企業が
「社員の価値観を認めず、
どうにかして経営者の価値観を浸透させるよう」
と腐心していた昭和・平成の時代が、
いかに精神衛生的に不健全な時代だったかお分かりでしょう。
「誰もが自分を解放したいが、それを殺すのが美徳」
という時代だったのですから。
いま、令和へと時代が映るのとほぼ同じタイミングで、
これを180度、切り替え、
組織が、
「どうにかして職員の価値観を解放しよう」
と尽力することを探究する時代になりつつあります。
いよいよ、本当に、
健全な経営が求められる時代になったのです。
はたして、
経営者は着いてきているでしょうか?
■経営者は、
「本当に職員の価値観を解放しても大丈夫なのだろうか?
経営が成り立つのだろうか?」
と心配になるかもしれません。
“text-align: left;”>これが、昭和・平成の、
「単一の価値観」
しかわからない時代の発想です。
以前から言われているダイバーシティとは、
「それぞれの価値観を解放する」
ということが、本当の意味ではないでしょうか。
職員の価値観をできる限り解放するためには、
経営者・管理職が、できる限り自分の価値観を出さないことが必要となります。
つまり、組織の中では、
職員へのIN-Putを最小限にして、
職員からのOUT-Putを最大化することが当り前でなければなりません。
では、具体的に、どのようにすれば
そのような文化を創ることができるでしょうか?
患者サービス研究所では、
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