「失敗が許されない組織」は成長できない

「失敗が許されない組織」は成長できない

■我が国には、長らく

「失敗が許されない文化」

が浸透してきました。

 

そのため、わたしたちはチャレンジをすることが

大の苦手です。

 

チャレンジどころか、

新しいことを提案することすら気が引けてしまいます。

 

「成功する保証のないことなど、すべきではない」

「成功する保証のないことなど、提案するべきではない」

……という考えに、違和感がありません。

 

その結果、当り前ですが、

誰も新しいことを提案しないので、

現場から新しいことが生まれることはありません。

 

日本人が、

手を加えることは得意だが、

ゼロから作ることが苦手だ、と言われるのは、

そうした現実があるからでしょう。

 

■なぜ、そんな文化になってしまったのか?

 

簡単に言えば、歴史的理由は大きく2つ。

 

1つは昭和の軍国主義の名残りと言えるでしょう。

 

昭和20年の終戦まで、日本は軍国主義でしたから、

「上官の命令は天皇の命令。

絶対服従」

でした。

 

その神聖な命令に盲従できることが美徳とされてきたのです。

 

2つ目は、戦後の高度経済成長期の大量生産の時代の名残りでしょう。

 

軍国主義教育を受けた子供達が社会人となったり、

戦争から帰還した人たちが社会を形成したので、

平和な産業国家になってからも、

企業や組織の中では、

「自分たちを鍛えてくれた軍国主義教育の思想」

つまり精神論が、まだまだ生きていました。

 

上司の命令は絶対で、

セクハラ・パワハラ・職場のタバコ、

上司のゴマスリ、

社内営業、

休日は上司の引っ越しの手伝い、

女子社員は上司のお茶入れ、

社員旅行では女子社員は役員の隣でお酌、

などなど……

米倉涼子の「いたしません!」が聞こえてきそうな項目の

オンパレードですが、

それが当り前の時代でした。

 

理不尽なことにも黙って着いて行ける

「理不尽耐性」

があるほど立派!とされていたのです。

 

稟議書の印鑑は、上司の方に傾けて押すといった

ビジネスマナーがあるとかないとか…、

いまなら、

「そんなことに気を使わずに、仕事しろよ!」

と怒られそうです。

 

そして、製造業立国となった日本では、

マニュアルは上から降りてくるものであり、

「現場職員は自分で工夫も提案もする必要なし。

決められたことを機械のようにやりなさい」

という時代が、平成直前まで続いたのです。

 

このため、

現場では忠実に働く職員がいれば良く、

失敗しないことが美徳だったのです。

 

■昭和の60年間まで、

日本においては、

「言われたことに従う」

ことが前提であり、

「もし、意見が違う人がいても、

そのことを掘り返したり、議論することはせず、

うやむやにして、

表面的に仲良くやって行く」

ことが当り前となっていました。

 

社会においても、議論はしないことが美徳だったので、

学校教育においても、

「議論をして、お互いの異同を理解する」

「意見が異なっても、尊重し合う」

といった教育はほぼ行なわれていません。

 

その結果が、いまの私たちです。

 

おかげさまで、

異なる意見の人と、

お互いに尊重し合いながら気持ちよく話をすることが

大の苦手です。

 

工業立国だった昭和時代までは、

そんな国民性で良かったでしょう。

 

■しかし、

みなさんもご存知の通り、いまや、その逆となりました。

 

サービス立国となり、

答えが一つではない時代になりました。

 

ダイバーシティと言われて久しいですが、

いよいよ観光や技能実習などで外国人が増え、

価値観の多様性を受け入れなければ、

社会が成立しない時代になっています。

 

サービス、多様化、多角化、無形化の文化なので、

失敗というより、

そもそも決まった答えがない時代とも言えます。

 

そのため何より、

組織自体も、

そうした多様な外部環境や、外部の多様な価値観を感知し、

最良の対応を求められるようになりました。

 

そのためには

経営者も

「すべてに自分の目が行き届く」

現場職員も

「大事な指示は上から降りてくるもの」

などと思っているようでは役に立ちません。

 

トップは、

「大部分は、自分の目が届かない」

という前提に立ち、

現場職員も、

「現場の問題は自分たちが感知し、

最良の対応を講じることができるのも自分たちだ」

というボトム・アップを大前提としたカルチャーに

切り替えなければなりません。

 

■そのために、まず何よりも大事なポイントが、

「失敗を許されない文化を卒業すること」

です。

 

もちろん、定められたオペレーションを逸脱して良いということではありません。

 

詳しく言えば、

「一度の失敗によって、その後のチャレンジを妨げられる組織であってはならない」

という意味です。

 

そして、

これまでは、

「失敗して評価を下げるくらいなら、

決められたことをきちんとこなしていた方が良い」

とされていましたが、

 

今後はその逆で

「たとえ結果的にうまくいかなかったとしても、

提案したりチャレンジした方が、

提案もチャレンジもしないよりも価値がある」

という価値観を、組織は打ち出さなければなりません。

 

■みなさんの現場では、

会議で、新しい意見に対して

「そんな突拍子もないことを言っても意味がない」

と笑う幹部がいた時、

 

トップその他の幹部が、

「そういうきみには、どんな新しい意見があるのか?

批判する前に、まず聞かせてほしい」

と言っているでしょうか?

 

管理職がいずれも、

「上期には、あれとこれにチャレンジしました。

いまも、それに取組中です。

下期にもチャレンジしたいことが山ほどあります」

という人であってもらわなければなりません。

 

もし、みなさん自身が管理職であれば、

「手間と時間と費用その他の条件さえあれば、

いくらでも改善してゆきたいことがある」

というのが当り前でなければなりません。

 

みなさんの現場の管理職の方々からは、

そんな声が日々聴こえてきますでしょうか?