■先日、研修のご相談を受けて、
病院の上層部の方々と打ち合わせをする機会がありました。
典型的な悩みが聞かれました。
「研修の効果が持続しない」
「スタッフのモチベーションが上がらない」
「自分から学ぼうという姿勢がない」
「仕事以外をしようとしない」
「新しいことを一切受け付けない」
「自分の視点しかなく、病院のためという視点がない」
「協力しようとしない」
などなど。
山ほど出ているように見えますが、
みなさんもご存知の通り、
その根っこは一つで、
そこから様々な症状が現れているにすぎません。
なので、やるべきことはとてもシンプルです。
それは、
「研修ではない」
ということです。
研修という表層的な施策では、
何も変わらないからです。
しかし、従来の発想では、
ついつい
「どうやって教育しようか?」
となり、
「そのためには、どんな研修が良いか?」
という話になり、
その結果、その日も、
「グループ・ワークをさせることはできないか?」
「ゲームのようなワークがあれば集中するのではないか」
「グループ対抗になるとさらに良いのでは?」
「競争させて表彰してはどうか?」
「グループ・ディスカッションがあると良い」
などなど、さまざまなアイディアが上がりました。
しかし、これもみなさんもご存知の通り、
表層的な発想で、
効果が上がることはありません。
頼んでもいないのに集められ、
与えられた機会に、
与えられた顔ぶれで遊ぶだけなので、
現場で活かされることはないのです。
実際、
「研修の時には盛り上がっても、
現場にもどっても、現場では何も新しくなることはないのです」
という悩みも聞かれました。
■考えてみれば、
何十万という企業や病院が、
何億回という研修をやってきて、
「これぞ、現場がガラリと変わった」
というものがあれば、
きっとこんな悩みは世の中から消えているはずで、
もっと高度な悩みへと移行しているはずです。
この、
「研修」
というものには効果がない、ということに
そろそろ気づいても良いのではないでしょうか?
では、どのように発想を切り替えれば良いのでしょうか?
答えはシンプルです。
■ときどき、
「三好さんは、どうやって本質を割り出そうとするのですか?」
と訊かれることがあります。
もちろん、
本質を導き出す方程式を体得しているわけでも、
つねに本質を解明しているわけでもありませんが、
少なくとも、
「異なる結果を出すには、異なる原因が必要なはず」
と考えています。
「原因のないところには結果は生まれない。
結果があるところには必ず原因がある」
仏教で言えば、
「因果の道理」
に当たるでしょうか。
そこで、
「いま、うまくいっていないという結果があるならば、
そうなる原因があるということ」
であり、
「なんとか変えようとして、あれこれと講じている施策は、
いずれも的を外している」
ということの結果である、とも考えられます。
では、そこを変えたら良いのではないでしょうか?
■「研修が効果につながらない」
という、その「研修」とは、一般に、
- 決まった時間に、
- 決められた場所に
- 集められ、
- 資料が配られ、
- 講師が来て、
- 話を聞かされる。
……というイメージがあるでしょう。
そして、その枠の中で考えるために、
グループだのゲームだのという、
「お楽しみ会」
のような企画の域を出ないのではないでしょうか?
そこで、これらをことごとく反対にしてみれば、
- それぞれ都合の良い日時に、
- それぞれが学べる場所へ赴き、
- 参加したい者だけが
- 資料や段取りを用意して、
- みずから他者を訪ねて、
- 訴えたり働きかける。
いかがでしょうか?
研修室という四角い部屋から飛び出し、
頼んでもいない話を聞かされることから解放され、
みずから他者に訴えたり働きかけたりするならば、
誰が受け身でいられるでしょうか?
もちろん、居眠りしていられる人もいません。
そして、何より、
みずから考え、足を運び、準備し、
相手のあるアクションをすれば、
そこから学ばない人はいないでしょう。
こう考えてみると、
従来の研修が、
いかに刺激のない儀礼的なものか、わかる気がします。
せっかく講義を受けても、その内容が、
職員の身につかないのは、
不思議なことではなく、
むしろ
「当り前だ」
ということが明らかに見えてくるのではないでしょうか。
■外部講師にお金を払い、
職員にも勤務時間分の給与を払い、
場所を借り、
研修をするくらいなら、
その時間と費用で、
職員自身に活動させて、
身体を持って学ばせた方が、間違いなく生産的ではないでしょうか。
■そんなわけで、今回、
患者サービス研究所がお引き受けした研修では、
相談の結果、
(日時と場所はすでに変えられなかったので)
大幅に構成を変えました。
主に職員の方々から話してもらう場としたので、
話を聞くという受け身ではなく、
自分たちが話すという主体的な学びになります。
ただし、
投げかけとまとめをうまくしなければ、
内容が散漫となり、時間が台無しになるので、
ファシリテーションが重要となりますが、
その点を周到に整えれば、
確実に、当事者意識が高まる時間になることでしょう。
次回の研修では、
(研修と呼ぶものの)
いよいよ外へと足を運んで学んでくる企画へと進みます。
■いつも書いていることですが、
国民医療費が42兆円を超えているいま、
医療界にあるお金は、
効果のない研修や研修会社に使われてはなりません。
患者さんのため、
医療のため、
医療従事者のため、
本当に意味のあることにだけ、使われなければならないはずです。
職員の技能や意識を高めたいならば、
ぜひ、
職員の方々に
「必ず刺さる研修」
にだけ、お金をかけることをお勧めします。
そしてそのためには、
従来の固定観念を覆してくれるコンサルタントと
相談される方が良いでしょう。