負責病の実例(6) 「接遇向上」

負責病の実例(6) 「接遇向上」

◾️接遇については、

ひと頃流行ったような
ビジネスマナーやマニュアルによる接遇ではなく、
最近は、
「臨機応変な対応こそが心に寄り添った接遇になる」
という視点が広まって来ました。
 
つまり、組織が
「これが正しい接遇だ」
と教え、現場職員がそれに従う、という
指示命令体質ではなく、
職員一人ひとりが気づき考え行動する
自律進化体質でなければならない、という流れになってきているとも言えるでしょう。
 
しかし、実際には、どうでしょうか?
 
◾️たとえば、みなさんの病院の接遇委員会は、
どんな活動をしているでしょうか?
 
接遇研修の企画と実施
患者満足度調査の実施と集計・掲示
接遇標語の募集と、優秀作の表彰
などが、
年間計画に組み込まれ、
それをこなしている、といったところでしょうか。
 
実はこの、
「こうしましょう、ああしましょう」
と施策を打ち出してゆくことこそ、
指示命令体質の現れにほかなりません。
 
その指示命令に従ってする接遇では、
患者さんの心に寄り添う対応にもなりません。
 
むしろ、
機械的だ、紋切り型だ、冷たい、事務的だ、融通が利かない、などとクレームされるのは、
まさにルールやマニュアルに従った対応をした時にほかなりません。
 
自律進化を目指すならば、
接遇委員会が投げかけなくとも、
職員の間から、
「こんなことを学びたい」
「こんな取組を始めたい」
と言った問題提起や改善提案が上がってくる組織を
創るようにしなければなりません。
 
また、職員がみずから気づき行動する接遇によって、
患者さんの心に寄り添うことが可能となります。
 
◾️すなわち、
実は、接遇委員会のミッションは2つあり、
  1. 接遇について学ばせること
  2. みずから接遇を学びたいという組織を創ること
だと認識しなければ、
本当に患者さんの心に寄り添う接遇ができる組織にはならないのです。
 
しかし、多くの接遇委員会では、
「1.接遇について学ばせること」
しか見ていないので、
「みずから気づき考え行動する接遇をしましょう」
と呼びかけることはあっても、
一方で、自律進化が生まれる組織創りにはなっていません。
 
そのため、
なかなか組織文化が変わらないので、
現場からの求められてもいない研修や施策を
なんとか進めてゆかなければならない負担から抜けられません。
 
逆に、もし、接遇委員会が、
「2.みずから接遇を学びたいという組織を創ること」
がミッションだと理解していれば、
やがて、わざわざ
「1.接遇について学ばせること」
をする必要もなくなるはずです。
 
なぜなら、職員が
必要と感じる学びをみずから探し求め、
研修を企画して、学ぶようになるからです。
 
ほとんどの接遇委員会が、学ばせることだけが仕事だと認識しているのは、
「教育は上が与えるもの」
という指示命令体質が染み付いているためです。
 
接遇委員会も、上層部も上司も、
現場を引っ張ってゆく責任をみずから負っており、
これを負責病ということができます。
 
そのため、現場職員の側も、
「必要な施策は、上から降りてくるもの。
いろいろ忙しいけれど、
上が決めたら従わなければならない」
と依存病になっています。
 
それでいて、
「今回の研修は、あまり意味がなかった」
「この忙しい時期に、する必要があるのか?」
などの勝手な不満を口にしたりすることが起きています。
 
一方、自律進化体質においては、
「教育は、職員本人が獲りにゆくもの」
が原則です。
 
部下職員がみずから
「こんな接遇を実現したい」
と、それに必要な施策を提案してくる組織です。
 
このように
「2.みずから接遇を学びたいという組織を創ること」
を実現すれば、
接遇委員会は、
望まれてもいない研修を企画したり、
現場職員に教わった通りの接遇を実践させるという責任を負う必要もなくなります。
 
◾️余談ですが、
サービスとホスピタリティについて。
 
サービスとは奴隷(slave)と同じ語源を持つ言葉ですから、
主人に使える家来のイメージでしょう。
 
主人の命令ならば、
自分が望まなくても
「しなければならない」
からする対応です。
 
一方、ホスピタリティとは、ゲストを招いたホストの気持ちです。
 
ゲストが望んでいてもいなくても、
その喜ぶ顔を見たくて、
頼まれてもいない手間や工夫を尽くす
「やりたいからやる」
対応です。
 
サービス型接遇をさせるのか?
ホスピタリティ型接遇が生まれるようにするのか?
 
それによって、
IN-Put型の接遇向上策を主にするのか?
OUT-Put型の接遇向上策を主にするのか?
まるで反対になります。
 
みなさんの病院の接遇委員会は、
意図的に選んでいるでしょうか?