■先日、ある病院で、役員の方と話をする機会がありました。
この病院では、
以前患者サービス研究所のプログラムを導入されており、
その後も特に大きな効果を上げ続けている部署の責任者にも同席していただき、
さまざまな良い事例をお聞かせいただくことができました。
しかし、その時に、
役員の一人が、しきりに、
「あなたの部署は、人数もちょうど良かったからうまくいった」
「部下の◯◯さんも、協力的だから効果が出た」
というのです。
みなさんも、大きな違和感を覚えることでしょう。
それらの発言は、
つまり、言い換えれば
「その他の部署は、人数は多すぎたり少なすぎたから、そこまでうまくいかなかった」
「その他の部署は、部下に協力的な人がいなかったから、そこまで効果が出なかった」
ということを意味しており、
役員がわざわざ「できない理由」を挙げた発言でもあったからです。
■「このプログラムを導入するから、各部署の責任者は、現場をよくしてくれ」
といって役員がプログラムを導入している以上、
その役員自身が、できない理由を挙げるのは、
現場に対して失礼極まりないことではないでしょうか。
「プログラムで効果が上がるようにやれ。できない環境だけれど」
というのは、
技を全く教えずに試合に放り込むのと同じです。
試合に送り込む以上、
絶対に負けないように技を教えるのが、上席者の責任ではないでしょうか。
プログラムを導入した以上、
役員は、各部署が効果を上げられるよう、
必ず効果が挙げられるような環境を整えたり、
プログラム実施中に全力でサポートするのが仕事であるはずです。
命令する人が
「できないよね」
と言っていることを、いったい誰がやり遂げられるでしょうか?
経営者・上層部は、
管理職や現場に何らかの施策をさせる以上は、
必ず効果が上がるようにサポートするべきでしょう。
そうしなければ、管理職や現場職員の心は、必ず離れてゆきます。
■ただし、管理職もまた、
これからは、自分を守る術を身につけなければなりません。
もし部下を巻き込むことができなければ、どんどん上司を使うくらいの知恵がなければなりません。
もし
「この部下ではダメだ」
とわかったら、人事にも口を出すくらいの自治意識がなければなりません。
採用を人事担当に任せるのではなく、自分の人脈をたどって人を探すこともできるはずです。
それでも適材が見つからなければ、上層部に諮ってでも動く方が、黙ってミッションを果たさないでいるより、何倍も優れています。
また、いかに自分なりに取り組んでいるか、
部下を巻き込もうとしているか、
いかに新たに適材を採用せざるを得ないか、
そのための努力をどれだけしているか、
などについて、
プロセスをもって釈明する力がなければ、自分を守れません。
そこまでできなくても、せめて、
「これだけ、さまざまな情報を取り寄せて読んだ」
「◯◯まで足を運んで調べに行った」
「大学の先輩を、その勤務先まで訪ねて教えを受けて来た」
「母校の恩師に、その領域で有名な人を紹介してもらってきた」
などの動きをすれば、
そのプロセスを示すだけでも、上層部や上席者に対する釈明に大きな説得力を与えてくれることでしょう。
時には、
上司ですら会ったこともないような著名な人から教えを受けることができれば、
それでも耳を貸さない経営者・上層部・上席者はいないでしょう。
■上層部は、現場ができるように全面的にサポートすること。
そして現場職員は、できる限りの手を尽くして、
上層部や上席者に釈明できるだけの動きをすること。
これからの組織はそんな情熱が必要となります。
なぜなら、
上層部や上席者が現場任せにして介入しなくても良い、
現場が言われたことさえやっていれば良い、
そんな牧歌的な時代は、
もはや過去となったからです。
これからは、
上層部や上席者も現場に介入して前進できる環境を整えなければならない時代、
現場も自分から道を切り開き、釈明していかなければならない時代となっているのです。