■時々、会議や相談の場面で、
部下から挙がった意見に対して、
経営者や上司が、
「ま、様子を見よう」
ということがあります。
この
「様子を見る」
は、たいていの場合、
漠然と先延ばしにするという結果をもたらします。
あるいは、提案に対して、
経営者や上司が、
「いろいろな要因を考慮して、総合判断で決める」
ということがあります。
この
「総合判断」
もまた、得体の知れない言葉です。
■こうした、
「様子を見る」
や、
「総合判断」
という表現は、
本人が判断できない、ということを表している言葉に他なりません。
というのも、本当に様子を見て判断するならば、
「何の様子を見るのか」
「何がどうなることをもって、やる・やらないの結論をだすのか」
が決まっていなければなりません。
また、そのように説明しなければ、
部下は納得しないでしょう。
「様子を見たけど、やめよう」
となった時には、
部下職員のモチベーションは大きく損なわれます。
また、総合判断をするということは、
さまざまな要因がある中で、
「これだけは欠かせない重要な要因」
を明示できていない、ということです。
また、複数の条件同士の、優先順位を決めることができない、ということです。
客観的な条件関係がわかっていない、ということですから、
「ぼくの主観で決めるよ」
「最後は直感で決めるよ」
ということになるのですが、
そんな表現はできないので、
あたかも
「全部説明することはしないけれど、いろいろな要因を考え合わせた上で判断するよ」
というムードを醸し出すはめになり、
「総合判断」
と言っているにすぎません。
何が重要か、
自分が決裁する時にはどんな条件に基づいて結論を出すのか、
…について、明確に考えることができている人ならば、
そのまま説明できるので
「総合判断で」
という中身不明の表現などしません。
つまるところ、こうした
「様子を見る」
「総合判断で」
という表現は、
「ぼくが決めるから、きみたちは従いなさい」
という押し付けをする時の常套句、ということになるでしょう。
指示命令体質が染み付いている人には、違和感がないことでしょう。
しかし、上司がブラックボックスで、
どこにどんなスイッチがあるかわからない中で、
部下職員がモチベーションを上げることができるでしょうか?
理屈抜きの押し付けがある中で、
部下が真剣に、みずから気づき考え話し合い
一生懸命出した意見を
提案する気になるでしょうか?
■もし、自律進化組織を目指すならば、
「何がどうなったら、やる」
「条件の優先順位はこうだ」
と、判断基準を明示して説明することが必要です。
なぜなら、日々、小さな押し付けを繰り返すことで、
指示命令体質の部下を創り上げてしまうからです。