■さて、いろいろやって来たけれど、
「そもそも、医療現場の接遇って何?」
と、疑問を感じている方も多いのではないでしょうか。
というのも、昨今の医療現場では、
職員から
「そもそも、接遇ってなにをどこまでやれってことなの?」
と訊かれてしまうので、
接遇委員の方々も、その疑問に直面せざるを得ない、という時期になっているようなのです。
そこで、患者サービス研究所の接遇研修は、
ズバリ、医療現場の接遇の本質を明らかにするところから、
はじまります。
なぜなら、
ゴールがわからなければ、
すべてが間違ってしまうからです。
■一方、
一般的な研修会社は
「もちろん、接遇とは、感じが良ければ良い対応です」
という前提にあるので、
「接遇の本質」
については語りません。
ところが、快適を追究するあまり、
研修会社の研修では
笑顔の練習をしたり、悠然としたお辞儀を学んだりするため、
医療現場からは
「その美しい立ち居振る舞いが、かえって患者さんのクレームを誘発する」
「その満面の笑顔は、医療現場では相応しくない時の方が多い」
と、異議の声が上がっている、というのも当然でしょう。
■さて、本題に入りましょう。
「接遇」が、
「相手との良い関係をつくること」
であることは、異論はないでしょう。
そこで、冒頭の図をご覧ください。
医療現場では、さまざまなケースが生まれます。
左上(赤)のように、
「治って、感謝して帰り、信頼してまた来られる」
のは、お互いにとって嬉しいことで、
良い関係が築かれていると言えるでしょう。
また、その反対に、右下(青)のように、
「症状が改善せず、不信や不満を抱えて帰る」
というケースも残念ながらあります。
さらに、時には、右上(黄)のように、
「治っているのに、不信や不満を抱いて帰る」
という理不尽にも思える残念なケースもあります。
しかし、その逆に、左下(緑)のように、
「症状が改善していないのに、いつも感謝して帰り、信頼してまた通って来られる」
という、
症状が改善しないことは致し方ないこととは言え残念ですが、
幸い患者さんとは良い関係性が築かれているケースもあります。
この(緑)に該当するケースの中には、
「主人はこの病院で亡くなりました」
という奥様が、
「でも、遺された私自身も、診ていただくのは必ずこちらの病院にしているのです」
ということもあります。
ご家族が亡くなるという最も悲しい結果であるにも関わらず、
病院とは良い関係性が築かれているのです。
■ここまででお察しのことと思いますが、
良い関係性を築けるかどうかは、
症状が改善するかどうか(治るか治らないか)とは
因果関係がないということです。
治った方が良い関係になり、治らない方が良い関係にならないことが多い、
という「傾向」がありますが、
その例外が存在する以上、決定要因ではないということです。
考えてみれば、そうでなければ困りますよね。
もし、良い関係性づくりに徹するには、
来院時に治るか治らないかで、患者さんを選り分けるべき、
ということになりかねないから。
■そこで、質問です。
では、
「患者さんと良い関係性が築けるかどうかを決めるのは、
一体なんでしょうか?」
これが、医療現場の接遇の本質を明らかにする問いでしょう。
この本質が欠けている対応をしてしまえば、
たとえ症状がきちんと改善していても、
不信や不満を抱かれ、クレームすら惹起してしまいます。
また、この本質の的を射た対応ができていれば、
たとえご主人が亡くなるという最悪の事態が起きても、
ご遺族からは感謝され信頼され続けるという
良い関係性が築かれるのです。
改めてお訊きしましょう。
患者さんと良い関係性が築けるかどうかを決めるのは、
一体なんでしょうか?
ご主人が亡くなってもご遺族がこの病院に感謝し信頼して通ってくださるには、
この病院と、患者さん・ご家族との間に、
何があったのでしょうか?
それが医療現場の接遇の本質です。
■この設問に答えられない接遇研修講師は、
「患者さんに悲しい事態が降りかかった時であっても
患者さんと良い関係性を築く方法」
がわかっていない、ということです。
しかし、医療現場では、
来院されるその多くが、思ったようにならない悲しい事態が降りかかる方々ばかりなのですから、
それでは困りますね。
そんな大多数の患者さんと良い関係性を築く本質がわからない人から、
医療現場の接遇について、教わる必要があるようには思えません。