■経営の父、P・F・ドラッカーは、
「測定できないことに責任を持ってはならない」
と言っています。
たとえば、経営者から、
「接遇を向上してほしい」
と言われて、
懸命に接遇向上に努めたとしましょう。
そして、担当職員が、その効果が現れてきたと感じていたところ、
経営者から、
「全然、向上しない。どうなっているのだ」
と言われたら、どうでしょうか?
担当職員としては、
「何をどこまで変えて欲しかったのか?最初から明示して欲しかった」
と不満を感じることでしょう。
このように、
「何をどこまで」
と、測定できないことを請け負ってしまうと、
ほぼ、上記のような悲劇が起こることになってしまうのです。
なぜなら、依頼した側の
「主観評価」
によることになってしまうからです。
依頼された側にとっては、努力が報われず悲劇ですが、
依頼した側にとっても、望んだことが叶わないという悲劇です。
つまり、部下は
「測定できないことに責任を持ってはならない」
のはもちろんですが、
上司もまた、
「測定できないことに責任を持たせてはならない」
ということができるでしょう。
上司は、部下に何かを依頼する場合には、
「何をどこまで」
やってほしいのか、を明示してあげることが必要です。
もし上司に、そのような配慮がない場合には、部下側から
「では、◇◇を○○まで、責任を持ってやりますので、
それでよろしいですね?」
と測定できるものさしをみずから提示して、
「では、◇◇を〇〇まで頼む」
という言質を取り付けるようにした方が、良いでしょう。
■もとより、
上司が部下や組織を動かそうとするならば、
▶︎ゴール像を明確にして指示をすることと
▶︎その成果を検証すること
の2点を徹底するという鉄則がありますが、
そのゴール像についても、
「◇◇を○○までやってほしい」
と測定できる形にすることもまた、
「明確にする」
うえで欠かせないポイントだということができるでしょう。
■「やってくれ」
と指示したにも関わらず、
「何がどこまで進んだか」
の検証がなければ、
部下は着いてこなくなります。
「指示あれど検証なし」
言われたことを果たさなくても済むことがあるのだ、と
学習してしまうからです。
一方、
「やってくれ」
と指示したことについて、
「何がどこまで進んだか」
を検証する、ということを繰り返すことによって、
組織がきちんと動くようになります。