■「社畜」
という言葉がありました。
所属する組織から、
人間らしく扱われないにも関わらず、
そこに勤め続けなければならない立場を指している、
なんとも哀しい言葉です。
自分で自分の身の振りを決めることができず、
上司の決定やご機嫌に従うしかない、
ということも珍しくなく、
たしかに組織には理不尽なことが多々あります。
セクハラ、
パワハラ、
飲み会強要、
職員旅行の強制など、
これらだけでも、理不尽に感じることでしょう。
「そんなのあり?」
と思っているひとは少なくありません。
しかし、
「職場なんて、そんなもの」
と諦めてしまい、
「自分の身の振りを決められない」
という思考の中に収まってしまっていることが
まさに
「社畜」
の発想と言わざるを得ません。
■たとえば、
突然、人事異動によって、上司が変わるということがあります。
そんな時、多くの組織では、
「新しい上司には良い印象を持たれるチャンス!」
と言われるのと聞いたことがないでしょうか?
しかし、実はこんなに理不尽なことはありません。
というのも、この背景には、
「上司が変われば、
それまでの働きぶりへの評価がリセットされるもの」
という前提があるということだからです。
たしかに、我が国では、異動となれば、
1〜2週間しかその準備期間がなく、
前上司から新上司への引継ぎも、
大抵の場合、業務に関することだけで精一杯でしょう。
部下の意欲や姿勢や努力についてまで、
「部下のAは、このことについて相当に頑張ってきた」
「部下のBは、こうした姿勢で部署を支えてくれている」
「部下のCは、ポリシーがあり関係業者からの信頼も厚い」
……などといった引継ぎをしてくれている場面など、
まず見たことはないのではないでしょうか。
考えてみれば、
こんな理不尽なことはありません。
しかし、
このように、
部下の働きぶりに関する評価までは引き継がれないのが
普通なので、
「上司が変わった時はチャンスだぞ」
とまで教えられている、というわけです。
もし、それまでの評価が低くても、
新上司に気に入られれば挽回でき、
逆に、
新上司と馬が合わなければ、
これまでの働きぶりは帳消しです。
理不尽にも限度があるのではないでしょうか?
しかし、
上司も部下も、違和感を抱かずにきたのです。
社会ではそうした理不尽な状況が常識化しているために
誰も異議を唱えない、という事態になっています。
■また、同様に、
一般に、
人事評価にはどうしても主観が入ってしまうため、
管理職を対象とした
考課者訓練(と称する研修)では、
「さまざまなバイアスがかかってしまうことを気をつけてね」
と教えられています。
「良い一部を見て、
全部が良いと感じて評価してはならない」
「悪い一部を見て、
全部が悪いと感じて評価してはならない」
「ついつい平準化して
職員間の差を小さくして評価してはならない」
「ついつい極端化して
職員間の差を大きくして評価してはならない」
……などなど。
そもそも、
「上司の評価には、バイアスが働くもの」
であり、
「バイアスを除くのは、上司任せ」
という前提です。
「どうすればバイアスを排除することができるか」
までは誰も教えていません。
評価される側にとっては、
半年〜1年、悩んだり苦しんだりしながらも、
全力を注いで働いているのですから、
「その評価は上司のバイアスがかかるもの」
とは、
あまりに理不尽ではないでしょうか。
しかも、そうやって、
ついバイアスをかけて部下を評価してしまう管理職自身もまた、
その上司からバイアスの目で見られています。
そして、部下も上司もその上司も
その理不尽な状態をもはや何とも思わないとすれば、
まさに「社畜」の文化が染み付いていると言わざるを得ないのでしょう。
■では、
なぜ、こうした理不尽なことが
当り前のように起きているのでしょうか?
実は、そもそも我が国では、
正確に人事評価をすることなどしていなかったからです。
高度経済成長期は、毎年ベース・アップするのが当り前でした。
そのため、評価を極端につける必要もなかったので、
高くつけても低くつけても、
結局、最終的には、一定のレンジの中に収めてしまっていた、
というのが実状です。
しかし、それでも、みんなが程々に報われたので、
頑張っていたのです。
とはいえ、
昇格するとなった時には、
イスは一つしかありませんから、
誰か一人しか選ばれません。
そこでは、上司の主観がもっと大きく働いていて、
派閥などの力関係に左右され、
大いに理不尽なことが起きていたものです。
しかし、それが世の中の常識でしたから、
「それも処世術だ」
と、言われ、
社内営業できる力も美徳とされていました。
■そうした理不尽さに、
世の中全体が、疑問を持っていなかったので、
一言で言えば、いまも
「人事評価に手間はかけない」
ということでしょう。
上司が
「つけた!」
と言えばつけたことにしてきたのです。
それはズバリ
「主観評価」
ということです。
- 責任感、
- 計画性、
- 協調性、
- 自主性、
- 創造力
……などなどの項目を評価しようとしていますが、
主観評価なので、
「誰が、誰より、なぜ優れていると言えるのか?」
を誰も説明できません。
説明できないから、
とびきり高くも低くもつけられません。
そのため、ほどほどに評価することになり、
いわば人事
評価が「儀式化」しているのです。
■多くの企業や組織が、
「人が大事」
「人財」
というようになって久しいですが、
いまだに主観評価が主流なのは、悲しいかぎりです。
もし、「人財」というなら、
「主観評価で仕方ないよね」
で済むことではありません。
真剣に評価するべきで、
「客観評価」
の方法を探究することこそ、
職員に対する最大の感謝・労い・敬意であり、
こうなって初めて、
「人を大切にしている」
と言えるのではないでしょうか。
これからは、
医療現場こそ、
客観評価によって、
「本当に頑張った人がきちんと報われる組織」
「頑張っていない人が居心地が悪くなり啓発される組織」
にならなければ生き残ってゆけないことは
みなさんもご存知のことでしょう。
■では、どうすれば、
職員の意欲・姿勢・努力を
客観評価できるのでしょうか?
- 責任感、
- 計画性、
- 協調性、
- 自主性、
- 創造力
……といった項目を客観的に評価してあげられるのでしょうか?
そこで、患者サービス研究所は、
「HIT-Bit」
を提唱しています。
HIT-Bitを実施すると、
「何月何日に、誰が、どんなことを言った」
「どんなことを行なった」
といった客観的事実が蓄積します。
経営者・上層部・上司は、
その蓄積した事実情報を見れば、
客観評価することが可能となります。
▶︎客観的事実を基にすることによって、
- ある職員を他の職員と比較すること
- ある職員を本人の過去と比較すること
……などができるので
公平・公正に評価することが可能となります。
▶︎また、
客観的事実が蓄積された情報として残るので、
人事異動によって上司が替わっても、
それまでの仕事ぶりが公平・公正に引き継がれます。
誰もが、その記録を見て、
納得することができます。
▶︎「仕事はできるが、わがままが多く、周囲が困っている」
といったベテラン職員に手を焼いている、
という組織も少なくないのではないでしょうか?
こうしたケースについても、
HIT-Bitを行なえば、
「いかに周囲にネガティブな影響を及ぼしているか」
ということについて、
客観的事実が情報として蓄積するので、
事実を提示して治すよう促すことも、
人事評価に反映して是正してゆくことも可能となります。
■まとめれば、
主観評価のもとでは、
組織の中に、理不尽なことが起き、
人事評価によって是正することもできません。
客観評価ができれば、
組織の中における問題点を摘示することができるので、
理不尽なことを明らかにしたり防止したり、
人事評価によって是正することが可能となります。
もし、みなさんが、
職員が健全に、
やりがいと誇りを感じ、活性化して
生産性の高い組織を創りたいのであれば、
一日も早く
「主観評価やむなし」
という諦めから卒業することをお勧めします。
みなさんの部下職員をもまた、
「主観評価やむなし」
「理不尽なことも仕方ない」
といった社畜の発想から卒業させることが不可欠です。
なお、
「HIT-Bit」
については、1Dayセミナーを行なっています。
本当に効果が永続する組織づくりを実現したい方は、
ぜひご参加ください。
◆ 2020年3月1日(日)13:30〜16:30【東京】
◆ 2020年3月29日(日)13:30〜16:30【東京】
◆参加費:1人当り4,000円
■自律進化組織が6ヶ月で生まれる方程式「HIT-Bitプログラム」
については、
ブックレットで概略をお読みいただくことも可能です。
A5判、76ページ
1部800円となります。