■医療機関や自治体では、
仕事ぶりを客観的に評価しないことも多いので、
頑張る人ほど虚しくなって辞めてしまい、
頑張らない人ほど居心地が良くて残る、
ということが、しばしば見受けられます。
目標管理制度を導入していても、
的確な評価指標を立てられず、
結局は上司の主観評価となっていることが
多いです。
すると、上司の主観を根拠に
大胆に差をつけて評価することがためらわれるため、
結局、大してみんなの評価に差がつきません。
そのため、
手間をかけて目標シートを書かせたり、
時間を割いて目標面談をすることに、
評価上の
「意味がないよね」
という声が大勢となっています。
半期に一度くらい
面談しなければ改めて話す場面もないので、
何となく
「面談はしないよりはした方が良い」
となっているケースが、多々見受けられます。
絵に描いたような
「形骸化」
ですね。
■そんな中、
しばらく前、
あるクリニックでのこと。
「頑張っている人をきちんと評価してやりたい」
と院長先生。
とても良いことです!
「ただ、どうやって評価したら良いのか?わからない」
とのご相談です。
主観で評価すれば、スタッフは
不満に感じたり、
目の届くところだけ頑張ったり、ということになります。
しかも、院長がスタッフ一人ひとりの仕事ぶりを的確に見てやるなどということは、
不可能なことは言うまでありません。
そこで、患者サービス研究所がいつもお勧めしている通り、
まず第一に、
「いつ、誰が、何に問題提起してくれたか」
「いつ、誰が、どう改善提案してくれたか」
という客観的事実で評価することを提案しました。
頑張っているか、いないか、
内心のことは目に見えず測定することもできませんが、
それを言動に現してくれれば、
測定が可能となるからです。
第二に、その情報を、スタッフから自己申告してもらうことを勧めました。
院長が、情報を集める責任を負っても、
現実にはつぶさに見て把握することはできないからです。
また、自己申告制にすることによって、
自分のことは自分でしなければならないという自律心が、スタッフに養われるからです。
職場は学校ではなく、
上司は神様ではない。
ひたむきに働いてさえいれば
きちんと評価してもらえると思ったら
大間違いなのです。
■ところが、
院長はこう言いました。
「自分から言えないスタッフもいるから、
自己申告制にするのは気の毒だ」
みなさんは、これを聞いて、
どう思われますか?
実は、
これでは、
評価材料となる情報に客観性がないので、
永遠に的確な評価はできません。
主観では
頑張っている人をきちんと評価することはできませんから、
頑張った人が報われる組織にはなれません。
■上司が、部下たちのためによかれと思って
評価のもととなる情報を集める責任を負ってしまうと、
部下は、
「ちゃんと見てもらって当り前」
という認識になるので、
上司が苦労して部下の状況を把握しても部下から感謝されることはなく、
むしろ他責発送となった部下からは、
「きちんと見てくれていない」
と、往々にして責められることになるのです。
もっとも象徴的なケースは、部下からの
「わたしたち、何かあれば改善しています」
という言葉です。
上司が、
「もっとよくして欲しい」
と思っていても、
部下からは、
「わたしたちは、すでにきちんとやっている。
それを、上司の方がきちんと見てくれないのだ」
と反論されてしまうことです。
部下からすれば、
「そこを見るのが上司の責任だ」
という前提があるからです。
そして、部下からそう言われてしまったら、
上司は抗弁できません。
きちんと見ることができていなくて、ごめん、と
謝る立場になってしまいます。
かくして、
上司の、
「現場を成長させ、もっと良くしたい」
という願いは拒絶されてしまうのです。
これでは、組織が成長することなどありません。
こういう場面は、
現場では、まったく珍しくないことでしょう。
これも、
「部下の働きぶりを見るのは、上司の責任」
と前提してしまっているから起こる悲しいコメディなのです。
また、もし管理職が、
「うちの部下たちは、『自分たち、充分やっています』と言うので、ぼくからは、それ以上やれとは言えません」
というようであれば、
そんな管理職なら、いなくても良いでしょう。
なぜなら、上司は、
部下がなんと言おうと、
部下たちに、業務に対する必要性や魅力を感じさせ、
部下たちがやらなかったこと・できないと思っていたことを、
実現させ成長させるのが最も重要なミッションだからです。
さて、
もし、部下職員たちから、
「わたしたち、何かあれば改善しています。
充分やっています」
と、新しい改善や取組を拒まれたら、
みなさんなら、どうしますか?